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日常・つぶやき

千年。濾過された本質に出会う。在り方。

歴史が好きです。

法隆寺や太宰府天満宮、そんな千年以上も歴史を歩くのは、わたしの人生にとって大切な出来事です。

わたしはこの現代において、現代の人や組織を支援しているわけですが、根底にはいつも「歴史の一員」という視点は忘れないようにしています。

わたしたちは受け継いできたものがあり、大切にしていくものがある。

だからこそ、現代に奮闘する人や組織の大切なもの、大切にしていくものにも心を傾けられると信じています。

目次

千年。濾過された本質に出会う。在り方。

その門をくぐった時、わたしは

「うおっ、なんだこれ!」

声に出てしまいました。

千三百年もの古さではなく、
透き通る清新の息吹が体を通り抜けていったからです。

一昨年はじめて法隆寺にいったときのことです。

不思議な話ですが、
そのとき南大門から見える法隆寺から
何かいのちをもった透き通ったものが、
私の体を高速で吹き抜けていったように感じたのです。

「ぶわっ」ときて、「うおっ、なんだこれ!」

そんな一瞬でした。

「あ、やっと来た。」

はじめてなのに、なつかしい。
ここに来たかったのだ。
そんな感覚になりました。

法隆寺、飛鳥時代の面影がよくぞ残っていたことに驚きつつ、
(残してくれた先人、現代のみなさまに感謝します。)
わたしにとって、この「清新の息吹」に触れたことは
一番の“収穫”でした。

法隆寺の瓦屋根を葺き直すための瓦への奉賛金の案内がありました。
千年後、その瓦が、私の名前の墨書もともに残り続けることは、
想像するだけでも「歴史とひとつ」になった心地がします。

一昨年に行ったその感覚が忘れられず、
昨年も続けていったくらいでした。

太宰府天満宮にも、昨年、
わたしが中学生の修学旅行以来に、
約30年ぶりに訪れました。

千年以上の神域は、いるだけで、澄やかになります。
域内の樹木の幹がどれも大きく、枝葉を堂々と広げられるだけ
広げていることが心に残っています。

わたしは歴史に触れるのが好きです。
知識も好きですが、その「息吹」に触れるのが好きです。

歴史には人間のさまざまな出来事や思いがうずまいています。

しかし、立場や思想をいったん横に置いて、
ただただ、「その当時のひとがこのように生きてきたのだ」
ということに思いをはせるとき、
今と昔がひとつになった感覚になります。

遠い昔のようで、もっとも新しい。

わたしの場合、そんなときにもっとも
「今、この時代、人生を生きよう」
と前を向くことができます。

おそらく
人や社会の、濾過された本質に出会うからでしょう。

そしてわたしもいつか、
無名のまま忘れ去られた存在としても、
千年後に誰かが感じる歴史の一部になるからでしょう。

今日のメインの話はここで終わりです。
あとは蛇足。

「人間は一年前の悩みを覚えていない。だから悩みなんてそんなもんだ。」

といいますが、千年単位だったら…

とにもかくにも、歴史に触れるのは、いいものです。

それにしても、
現代のいいところは、むかしは一部の人しか味わえなかったものを
目いっぱい味わえるところですね~

あえて人がいかない日程、時間帯、場所にいくと、
もう、こんな贅沢はありません。

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