あなたの未来を左右する「夢」と「志」の話~その違いと意味~

みずから頑張ったり、努力したり、成長したりする大きなもの。
それが、「夢」と「志」、です。
人が(組織も)夢や志をもったとき、これまでの人生とは違った毎日を歩み始めます。
それくらいに人を未来へと推し進めてくれます。
では、その「夢」と「志」、実際どう違うのでしょうか。
そして、わたしたち、とくに仕事や組織では、どちらを持った方がいいのでしょうか。
目次
- ○ 夢と志と「時(とき)」
- ○ 夢と志の違い①~「夢」の語源と意味するもの~
- ○ 夢と志の違い②~「志」の語源と意味するもの~
- ○ 夢と志の「違いと・・・」
- ○ 夢と志、どちらを大切にするのか?
- ○ 夢と志への取り組み方
- ○ あなたへの問いかけ~まとめとはじまり~
夢と志と「時(とき)」

人がやる気を失っているとき、ただ惰性だけで生きているとき。
毎日が平板です。
のんべんだらりと時間だけが過ぎていく。
決して落ち込んでいたり、ふさぎ込んでいるとは限りません。
毎日に意味が持てず、ただ目の前のタスク、生活、作業などに追われている、流されている感覚です。
個人だけではなく、組織全体でも同じです。
たしかに組織としては売り上げも利益も、必要なものは必要でしょう。
ただし、それ以上のものは見いだせない。
個人としての人が生存のために栄養や体力が必要なように、組織も存続するために売り上げや利益が必要であることと同じ。
それ以上のことは何も言っていないのです。
しかし、わたしたちは知っているはずです。
ときに毎日が「輝く」という言葉が嘘でないほどに輝くときがあることを。
驚くほどに学び、会得し、吸収し、成長していくときがあることを。
人からみればつらそうなことが楽しくてしょうがなく、人から見て大変なことに取り組みたくてしょうがないときがあることを。
そんなとき、ひとは「時(とき)」をもっています。
追われ、流されている時間ではなく、あなた自身がまさにあなた自身として存在している「時」を。
古代ギリシャでは、ただのんべんだらりとした平板な時間を「クロノス」と呼び、今この瞬間瞬間が輝く時(とき)を「カイロス」と呼んで明確に区別していました。
クロノスとは時間がわたしとは別に流れています。
時間とわたしとは別々なのです。
しかし、カイロスは違います。
あなたが生きることそのものが「時」であり、「時」はあなた自身そのものです。
あなたと「時」はひとつになっているのです。
そんな「カイロスとしての時」を生きること。
それが個人の人生も組織の、活動、活気、成長、充実の根本にあります。
そして、「カイロスとしての時=本来のあなたそのもの」を生み出すものが「夢」と「志」なのです。
夢と志の違い①~「夢」の語源と意味するもの~
「夢」と「志」。
似たような言葉ですが、やはり違う言葉である感覚がありますよね。
どちらも、それを本当にもったときには、「カイロスとしての時」が起動しはじめることは間違いありません。
実際わたし自身、「夢」の事業プランをプレゼンテーションする大会の代表もつとめていますし、学生向けに夢キャリア授業の講師なども務めたりもしています。
夢を持って生きる人の素敵さや輝かしさを、誰よりも知っている人の一人ではないでしょうか。
一方、企業や組織を支援する際は、「志」をお伝えすることも多い。
「志」ある組織の力強さ、頼もしさは、ひとつの歴史創造の現場を見ているかのようです。
両方にまたがって支援しているからこそ実感しています。
違いはあれど、どちらも「カイロスとしての時」を生み出す基であると。
とはいえ、その違いを知っておくとより、その大切さもわかってくるというものです。
「夢」とは、日本語のもとをたどれば、古語「寝目(いめ)」からきているといわれています。
うつらうつらしているときに、ぼんやりと幻想的に見えてくるもの。
寝る目といえば、現代では睡眠中に見るものと生理学的に解釈されそうです。
ただ、古語の語感としては、自分で見ているような、何か神的なものに見せられているような、そんな現実と幻の間として見えてくるものを指していました。
だからこそ、夢はお告げでもあったのです。
「夢か現(うつつ)か」
いまでも使われている言葉ですが、いわゆる現代的に言う現実というものさえも、ある種の幻影感や刹那感(輪廻感)をもっているのが、今なお残る日本的感覚です。
古代では、夢と現の境目も、さらにずいぶんとあいまいなものでした。
この「夢」は、近代になって「Dream」と出会うことになります。
Dreamの語源も、古代までさかのぼると日本と似た感じだったようです。
いわゆる現実とその他の世界(天上世界など)がより明確に区別されている西欧では、Dreamとは、まだ今の現実には無いけども見えたものであり、天井からの贈り物、よろこばしいもの。だからこそ、それはこの世で叶えていくものとなったのです。
日本語では今も、夢を見る、というように「見る感覚」が強いですが、英語ではたとえばキング牧師のように、 “I have a Dream.” と持つもの/得ていくもの、という語感が強くあります。
近代に入り「Dream」の訳語として「夢」が選ばれましたが、上記のように、必ずしも完全一致したものではありません。
とはいえ、近代化する状況の中、個としての人生の確立や個としての意思がより求められていくこととあいまって、「夢」はDraamとして、持ち/得ていくものになっていきました。さらに、見る/見えてくるものでもあるという感覚も今なおあり続けます。
「夢/Dream」は、今なお変化しつつ日本ならではの感覚として育ちながら、現代まで引き継がれています。
まとめてみると
「夢(Dream)」とは、確かにいまの現実(現うつつ)にはあるか無いかはっきりしないもの。でも、ある意味神的なものでもあり、それが見えてきて持てるということは、その人の未来に希望をもったり、幸せを得るために生きていこうという人生の原動力となります。
夢と志の違い②~「志」の語源と意味するもの~
一方、「志」は、確かに人を違った意味でやる気にさせますが、言葉の発祥は異なります。
「志」は、「士」の「心」と書きます。
この「士」というものが、志を理解するキーワードとなっています。
古代中国の古典、とくに儒教系の古典では「士」という言葉が重要視されています。
「士」は、他者や社会と関係のある言葉です。
ざっくりいえば「士」とは、「義」をもって尽くすものと言えます。
「義」というのは、いまでも「義理」や「正義」などよく使われる言葉ですよね。
辞書的にいえば、「正しい道、条理、他者や社会のための倫理」という意味。
つまり、人や社会にとって道理にかなったこと(=義)に、身をささげる人のことを「士」と呼ぶわけです。
「武士」とは、武をもって人や社会の道理を保つために身をささげている人のこと。
正しい道理のために武力を用いるのであって、単に暴力をふるったり道からそれた人は「武士の風上にはおけない」わけです。
「士」にはある種の責任感があります。
道理のために自分をささげるという、社会を守り自分を律していく責任。
会計士/税理士/行政書士/司法書士・・・
現代でも「士」がつく職業にはかならず必要とされる社会的・人格的責任が求められます。
「士」とは、道理にしたがってこの社会に生きる人。
人や社会の道理をみずから担おうとする人のことです。
だから「士」には誇りがあります。
矜持があります。
「志」とは、そんな「士」としての「心」。
「志」は義に基づき、道理としての「良い」という基準や理想があります。
その理想は人や社会にとって在るべき姿であり、未来に目指すべき方向性です。
いうなれば「志」とは、「人や社会にとって良き未来を目指す心」と言えるでしょう。
志は、自分自身に誇りや矜持をもち、より高くより頼もしく道を歩んでいく原動力となります。
夢と志の「違いと・・・」
「夢」と「志」。
どちらも人をやる気にさせ、人生を前に進めてくれるエネルギー。
いのちのエネルギーといいかもしれません。
まとめると、こう言えるでしょう。
夢とは、個人として見たり持ったりするものであり、人生の幸せのために得たいものです。
神からその人に直接おりてきたかのように純粋だからこそ、人生が輝く源泉となります。
夢に生きる人は、輝いています。
それは、純粋に生きることを楽しみ、喜んでいくいのちの輝きと言えるでしょう。
志とは、個人が人や社会ために生きようとするものであり、より良くしようとする意志です。
人や社会のための担い手として誇り・矜持をもち、自己の人格を高めながら前へ進むための北極星となります。
志に生きる人は、頼もしい。
それは、人にも社会にも自分自身にもみずから責任をもち、困難にも力強く歩もうとする人としての頼もしさと言えるでしょう。
夢と志、どちらを大切にするのか?
では。
仕事や組織において、夢と志、どちらを持った方がいいのでしょうか。
どちらを大切にした方がいいのでしょうか。
・・・と、この論考で問いかけましたし、私自身、何度も自分にも問いかけながら生きてきました。
さらに人や組織もこの二つで支援してきましたが、結論は、これしかないと思っています。
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夢なき志に、よろこび無し
志なき夢に、ちから無し
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そう、間違いなく、両方持った方がよく、どちらも大切です。
よろこびとは、いのちの感情であり、感動であり、生きる幸せです。
人生の輝きです。
志だけでは人生は型枠だらけになり、外発的で息の苦しいものになります。
ちからとは、切り開いて歩む推進力であり、自覚であり、生きる確かさです。
夢だけでは人生はおぼろげなものになり、一貫性がなくむなしいものになります。
夢があるから、志がよろこびになり、時を充満させるのです。
志があるから、夢がちからになり、時を充実させるのです。
より心理学風にいえば、夢とは動機。
「こうありたい、ああなりたい」
そんな、人として生きる純粋な願望であり、わたしたちの人生や未来に光ある希望をもたらします。
志とは方向性であり倫理です。
「こうあろう、あああろう」
そんな、この世で生きるまっすぐな理想であり、わたしたちの人生や未来に震える使命をもたらします。
動機にもとづき高い理想が生まれますし、理想がさらに強い動機を生んでいきます。
夢と志への取り組み方
両方とも大切で、必要不可欠ですが、あえていえば、仕事や組織によって取り組み方は異なってくると言えます。
たとえば、
いま「志」の側面がよりつよい組織は、ともすると、そのメンバーに「やらされ感」や「義務感」で精神的な硬直さや疲労感を生んでいく可能性があります。
※例として、パーパスやミッションやバリューに力を込める組織は、志の面がつよいと言えます。
その場合、そもそも、に戻ることが大切です。
なぜそれを志すようになったのか。
元々もっていた、志を志したくなるほどの動機、これが叶ったらいのちがよろこぶほどの「夢」とはなんだったのか。
そんな原点にすなおに純粋に戻っていくことをおすすめします。
逆に「夢」の側面がよりつよい組織は、ともするとそのメンバーに「振り回され感」や「不確か感」で精神的な不安感や組織との距離感を生んでいく可能性があります。
※例として、ビジョンに力を込める組織は、夢の面がつよいと言えます。
その場合、もたらすもの、に向き合うことが大切です。
その夢が人や社会に何をもたらしていくのか。
「志」となるほどの人や社会になくてはならない貢献価値とはなんなのか。
そんな価値や貢献に、真摯に向き合っていくことをおすすめします。
夢も志も、単なる言葉でも概念でもありません。
人や組織が、いのちをよろこばせながらたのもしく貢献するための、人生や社会や現実を形作るとんでもないパワーなのです。
あなたへの問いかけ~まとめとはじまり~

わたしたちの人生は一度きりです。
あの世があるかどうか、無なのかどうか、生まれ変わるのかどうか。
そのあたりの形而上学的な議論は、ここではおいておきましょう。
どちらにせよ、この世このわたしの人生は、一度きりしかありません。
哀しくもとらえられますし、いとおしくもとらえられます。
どちらでもいい。
どちらでもいいですが、
そんなこの人生のこの「時」をどう生きるのか。
少なくともわたしは、
せっかく生きていくならば、クロノスではなくカイロスを生きたい。
いのちをよろこばせ、自分なりにちからづよく歩むことができたと誇れる人生を。
そして、同じように潜在的に無意識的にカイロスを求めている人や組織を応援していきたい。
そんな人や組織がひとつでも多く増えていけば、
毎日という「時」が充満して充実して、皆がそれぞれ、笑顔で思いっきり仕事し、成長しあい、お互いを思いやりながら生きていっているのではないか。
そんなことを夢見ながら、その未来を志して歩んでいます。
あなたはいま、あなたという「時(とき)」を生きていますか
あなたの「夢」はなんですか
あなたの「志」はなんですか
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