Blog ブログ

Blog

HOME//ブログ//経営者がもっとも大切にする時間~あなたの本質がサインを送る時

ブログ

経営者がもっとも大切にする時間~あなたの本質がサインを送る時

あなたが全財産をはたいてでも大切にしたいことはありますか?

「本質」

よく言われる言葉ですが、
よく言われるほどにはあまり理解されていない言葉でもあります。

一方、その「時」が訪れた人にとっては、
何も説明をしなくとも、魂の奥でわかりきるほどにわかる言葉でもあります。

経営者やリーダーが、まさに経営者やリーダーであるために。

本質の本質とは?
「もっとも大切な時」が訪れたサインとはいったい何なのでしょうか?

目次

スティーブ・ジョブズがもっとも求めたこと

かのスティーブ・ジョブズはこう述べました。

「わたしは、ソクラテスとランチのひと時を持てるならば、全財産をはたいてもいい。」

良く知られていますが、彼は日本の禅宗の僧侶を師とあおぎ、人生をかけてもっともシンプルなことを見つめ続けていました。

実はソクラテスが生きていた時代、約2500年前の古代ギリシャも、現代と似た状況でした。
当時の主流は実は「ソフィスト」と呼ばれた人たちでした。
ソフィストとは、今でいう「立派な人たち」です。

論理的であり、弁論さわやかで、このビジネス社会を生き成功する術を教える。
そんな人たちでした。
人々からも求められており、彼らを教師と仰ぐ多くの人たちがその子供を子弟として預けていました。

そんな時代に現れたのがソクラテスです。
彼は、ビジネス視点でも世間の視点でもなく、ただただそれそのものだけをまっすぐ問い続けた人でした。

でもだからこそ、当時のソフィスト的な人たちにとって、これほどわずらわしい人もいなかった。彼の前では何もごまかせない、めくらますことができない、ただただまっすぐに問いかける人。

結局ソクラテスは同時代人には理解されることもなく、(そう、言ってしまえば、まさに理解できないという理由で!)同時代人によって刑死を宣告されてしまいます。

一見すると、まったく世の中の役にも成功の役にも立たない。
でも彼を失って、ふと静かに思い返してみれば、ソクラテスほど自分の魂に残り続ける人はいなかった。


スティーブ・ジョブズは、そういった人に、全財産をはたいてもいいと言っていたのです。

ノイズまみれの中から

わたしはたちの周りにはノイズが溢れていますよね。

SNSやテレビ、雑誌などの情報、本当に情報だらけです。
一説によると、過去10年間のデータ生成量は、それまでの人類全体が生み出してきた全データ量を越えるそうです。
しかも今後10年間で、さらにその30倍も生み出されると言われています。

その99%はノイズとも言えます。
それらからいかに大切なことだけを抽出するのか。
もちろんそれも一つの課題でしょう。

しかし、あえてノイズというならば、わたしたちの遭遇する出来事、問題・課題、すべてがノイズと言えます。

解決しても解決しても、なぜかまた問題ばかり起こり続けるこの状況
感情のもつれが絡み合い振り回される社内の人間関係
停滞が続いているのにも関わらず、一向に士気を挙げない社員たち
これじゃないと思いながらも収益のために続けてしまう製品やサービス
一生懸命やればやるだけ、疲れと虚しさが蓄積するこの経営そのもの

エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ

何かが詰まっている、何か流れが澱んでいる、これじゃない、これじゃない・・・

問題や課題を「対処するもの」という感覚のうちは、自分自身もまた揺らいでいない状態と言えます。
しかし、問題や課題への対処に「何か違う」と感じてきたとき、、、

「いまあなたは、見つめる次元を変える時なのですよ」

そんな、自分自身の中からのサインではないでしょうか。

本質の本質とは?

本質。

よく聞く言葉ですよね。

「本質的にはこうだ、この問題の本質は、それは本質ではない・・・」

そんな風な言葉をよく聞きます。

しかし、その「本質」とは何かを説明しようとすると、ハタと答えられなくなる人もいるかもしれません。

実際「本質」は使いやすい言葉だけに、自分が使うときには、本質の本質に謙虚にならないといけないなあ。そうわたし自身も自戒しています。

ともあれ、本質です。

ひとことでいえば、

「それそのものがそれそのものであるために、なくてはならないこと」

そのように言うことができます。

参考までにweblio辞書では、下記のように書かれています。
広辞苑や他の辞書でも似たようなものです。

1 物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。
2 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
・偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
・実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。

わたしはいわゆる辞書的学問的定義を踏まえ、経験上・実際上からも

「それそのものがそれそのものであるために、なくてはならないこと」

とする方が理解しやすので、そう定義しています。

たとえば、「椅子の本質は何ですか?」と聞かれた、どう考えますか?

脚が4つあること? では3脚ならば椅子とは言えないのか?
背もたれ、、、ない椅子もあるよなあ
野山をハイキングして休憩するときに、適度な岩に腰を掛けたら、それは?

意外に答えづらいですよね。

この場合、椅子の本質をこう答えたら、大きくはずれていないかなと思われます

「座ることができるもの」。

脚が3つでも座ることができれば椅子ですし、もちろん背もたれの在り無しどちらでも吸われたら椅子ですよね。
そのあたりにある普通の岩も、座ることができたとたん、それはその瞬間に椅子になります。

そういった意味で、座ることができればあらゆるものが椅子になりますし、座ることができないものは、椅子とは言えません。

よく「人間の本質とは何か?」という問いがなされることがありますが、この答えが難しいのは、「人間が人間であるために、なくてはならないこと」が、本当に突き詰めてみるとわからないからです。

昔は「言葉」と言われていましたが、言葉は他の動物でも言葉と言っていいものを交わしている研究が続々出ています。

「感情」も人間だけのものではないですし、「二足歩行」もそう。
「知性」についても高低の差はあれ動物も持っていると言えそうです。(AIは人間よりも知性がある・・・のかも。)

わたしもその答えは今はわかりません。
わかりませんが、「本質」を本当に考えていくと、単に形や現象として見えているものを挙げていくだけでは、なかなかたどり着けなさそうです。

本質というものに向き合うと、それそのものがそれそのものである意味へと向き合わざるを得なくなります。

「時」がくる

会社、組織、社員たち。
いまあなたの目の前に毎日さまざまな問題が繰り広げられています。

それらの問題達はわたしたちの感情をえぐります。
だれにも理解されない疲労やむなしさ、孤独を感じてしまいます。

もちろん世の中にはさまざまな問題解決法があります。
それらを参考に対処することも可能です。

でも、それだけでは収まらない。

また、一見収まったとようでも、どこか何かに届いてない感覚がある。


何か違う。
何か向き合うところが全然違う。

そう感じたときは、もう後戻りできないところに来ているのかもしれません。
目の前に見える問題や課題という形や現象に対処すればよしとしていた、その次元を越えたときだと言えます。

わたしはその感覚を自分自身からのサインと呼んだり、声と呼んだりします。
が、言葉はどうあれ、本質へ向き合う「時」が来ていると言っていいのではないでしょうか。

いいかえれば

「あなたの会社があなたの会社であるために、なくてはならないこと」

に向き合う「時」です。

いえ、もう少し踏み込みましょう。

「あなたがあなたであるために、なくてはならないこと」

が問われている「時」です。

逆に言えば、

「それ以外は、すべて捨ててもいいものとは何か」

に向き合う「時」とも言ってもいい。

種子が大木になるように

比喩的な言い方になりますが、人や人が生み出すもの(会社や組織)の本質のはたらきをよく表わしていると思うので、こう話すのですが、

「ひとの本質は種子のようなものである」

そうお伝えしています。

※注意点として補足すると、ここで伝えているのは人間という生物ではなく、「ひと」というかけがえのない存在、あなた自身の存在のことを言います。

わたしたちという「ひと」は、普段、食べて仕事して、寝て起きて、笑って悲しんで、起こって喜んで、、、これが好きであれは苦手で、これを目指したいがこれはどうしてもやりたくない。

ありとあらゆるものが「あなた」という存在を表していますし、逆に言えば「あなたの本質」が、あなたが感じたり考えたり経験したりしているすべてのことを形作って、人生となっているとも言えます。

つまり「あなたの本質」という種子から芽が出て根や茎をのばし、徐々に大きな幹となり枝葉を伸ばし、美しい花々を咲かせ樹木となるように、本質という種子の中に、未来の形や姿はすでに込められている。

その種子の本質がのびやかに伸びるように育てれば、堂々とした本質がもともともっていた大木になっていきますが、どこかのびやかさを失わせるように、生長への流れが澱んだり阻むものがあったりすると、本来の本質が失われてしまいます。


会社や組織とは、ひとが生み出していくものです。
そこにはかならず、生み出している「ひと」の本質が現れています。

その「ひと」が本来の本質とずれているのであれば、目に見える形としての会社や組織や社員達も、何かズレていきます。

逆にその「ひと」の本質がまっすぐのびやかに流れていれば、会社や組織や社員達にも、その本質のもっともよいところが現れていきます。

いま自分自身の内からのサインを感じているとしたら、そのかけがえのない本質、あなたがあなたであるためになくてはならないことが、何かしらの悲鳴やSOSを出しているのかもしれません。

もっとも大切な時はなんですか?

本質に向き合うとは、正しさを求めるのでも、外からの規範や倫理を学んだり、教えられたりすることでもありません。

その存在自身に戻ること、

「その存在がその存在であるために、なくてはならないこと」

そこに、ただただまっすぐになることです。

静かに、穏やかに。
その存在がその存在自体から語り掛けてくるかのように、ただただ純粋に。

己が、ただ己自身になる時間。
きっとスティーブ・ジョブズが求めたのはそういう時間だったのでしょう。

あなたにとって、もっとも大切な時間はどんな時ですか。

SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧