わかる方向け。瞑想による「あなたの真の理念」の感じ方
目次
「わたし」は小さくて狭いが、決してひとりではない。
あなたは大切なこと、見失っていませんか?
今回は、ちょっと意味不明の話です。
人生、仕事、会社。理念はまっさきに大切。
とくに変化の激しい時代。
そのためにはゆるぎない理念を考え、
理念を掲げて経営することが大切だ。
そう言われますが・・・
いや、でも、本当にそうなのでしょうか?
理念というものは、どうも、表面的だ。
大脳新皮質だけで思いついたような
とってつけたような理念なら、無い方が断然マシだ。
むしろ邪魔してるのは理念じゃないか?
そう思うことがよくあります。
理念よりも大切なことに気づく。
それが、今日のテーマです。
経営者は、嵐の中でも行く先を指ささなければいけないリーダー。
会社の業績の不安、資金繰り、社員へのストレス、理解されない孤独…
これらは、話を聞くだけで胸が詰まらされます。
そんな中でも、少しでも王道を進みたい。
あるべき会社にしていきたい。
大切なことを見失いたくない。
そんな気持ちで、
ときどきは無理やりにでもひとりの時間をつくったりして、
あれこれ思いを巡らすことと思います。
貴重な時間です。
わたしも例にもれず、
あえて一人の時間を最優先してぼんやり過ごすことがあります。
そんな時間のひとつとして、
わたしの場合は、
瞑想や座禅(以下、瞑想)があります。
断続的にはなりますし、長時間でもないですし、
サボることもありますが、
なんやかんやと20年以上続けています。
理由はさまざまにあります。
もちろん率直にいって、
瞑想や座禅をしたら心だけでなく物質的にも
何かいいことが起こるのではないか
という損得勘定もあります。
それはそれで期待もしながらゆるゆるやっていくと、
あるときふと、
「ああ、そうだった」
という気づきがあったのです。
損得勘定のエゴはなくならないのかもしれませんが、
この気づきがあって以降は、
「自分にとってもっとも大切な本質」という
視点だけは忘れないようになりました。
瞑想では、呼吸を整えること、呼吸を意識することで
少しずつ深い状態にはいっていきます。
呼吸にはいろんな流派?がありますが、
おおよそは鼻からゆっくり4~7秒ほど吸って、
その倍くらいかけてゆっくり華、または口から吐ききる。
その呼吸のリズムを意識するともなく意識して、
深くなっていくというプロセスです。
この呼吸というもの。
その時々の姿勢や、体の調子や、心のざわめきや、
周囲の音などさまざまな理由で、意外に一定しないんですね。
こんなにできないものかとびっくりします。
なんとか整えようと意識してしまうと、
また急に乱れたり、苦しくなったりすることもよくあり、
なかなか整わない。
そのたびに呼吸の仕方を変えたり、姿勢を調整したり、
試行錯誤もしているわけです。
「ふだんは、まったく意識せずに呼吸なんてしているのになあ。」
あらためて呼吸に意識を向けると難しいものだ。
そう心の中でぼやきながらも続けていた、
そんなある瞑想のときのことです。
そのときははじめは呼吸が整いませんでした。
できない自分にちょっとイラつきも感じながらも、
今日は何か体の感覚が違う。
姿勢をずらしたりしながら繰り返していくうちに
ようやく楽に吐く吸うができるようになってきました。
しばらくしたら“意識する”という感覚も薄れていきます。
次第次第に、
楽で自然で、しかも深い、
理想的な呼吸になっていくのがわかりました。
スー、ハ―。スー、ハ―。
さっきのイラつきも忘れ、
いつも自分にぐるぐるしている邪魔な思考も薄れ、
ただ、スムーズにゆったりと呼吸することが心地いい。
そして、、、瞬間がきたのです。
理想的な呼吸という意識さえも消えていくような、
そんな「有」と「無」の間際のことです。
わたしがわたしを“管理している”という感覚がなくなりました。
そして、ふとおとずれた感覚、
「あ、呼吸が呼吸している・・・」
そう、
「わたし」が呼吸しているのではなく、
「呼吸」が「呼吸」をしていると、ふと、そう感じたのです。
ちょっと言葉で言い表すのも難しいのですが、
がんばって説明してみます。
ふだんわたしたちは、呼吸を意識することはありません。
無意識です。
一方瞑想するときは、呼吸を意識し、コントロールしています。
わたしは、今も何気に
「呼吸する」
という、「わたし主語」で話していますが、
その気づきの感覚の中では
「わたし」という主語が無くなってしまったのです。
“わたしがわたしであるように、わたしがわたしを
今この瞬間に、わたし、している。(Doing I)”
という感覚です
何か主語が呼吸しているのではなく、
主語が無くて、なにかわからないけど呼吸がおこっていて、
それはとっても大切なこと今ここに、つねに起こっていた、
という感覚です。
説明になっているでしょうか?
まあ、続けます。
「わたし」が意識しようがしまいが、
(もっとちがう主語の無い)<<わたし>>は、
いつも「わたし」とともにあり、
<<わたし>>が「わたし」しているのです。
あえて誤解されることを覚悟して思い切って言えば、
「わたし」はマリオネット。
<<わたし>>はそれを動かすパフォーマー。
しかし<<わたし>>は、
別にどこかにいるのではなく、
「わたし」と一体化しています。
「わたし」は「わたし」の意志で動いて、生きて、
理念を練り、ゴールを考え、深掘りしているように思えます。
しかし、同時に、呼吸があり、内臓でホルモンがつくられ、
髪の毛は生え変わり、腸ビフィズス菌が活躍し、
血は赤く流れています。
つねに、
「わたし」を大切にしてくれている<<わたし>>があり、
それは「わたし」を意識してもしてなくても、
よい生命、よい人生を送らせようとしてくれている。
生物学でも宗教学でも物理学でもなんでもいいですが、
つねに今ココ、この瞬間もそれはあるのです。
そうふと気づいたときに、
「わたし」は「わたし」でいられることが、
ずいぶんと楽になりました。
また「これを、ありがたいというのだなあ」と
思えたことが収穫でした。
話を身近な元にもどせば、
わたしたちがいう理念というものは、ともすると、
ずいぶんと「わたし」だけの意識のなかだけで
なんとかしようとしているなあと感じます。
薄いというか、「よくできました。でも。…」というか
見渡してみれば、「わたし」の生きてきた人生、
「わたし」が意識していてもいなくても、
今ココに生きている事実は、
<<わたし>>が「わたし」を良くしてくれつづけてきた証なのだと感じます。
「わたし」の小さな枠で考える、理念じゃなく、
<<わたし>>とともに感じ、湧き上がる
「いのちのはたらき」のようなものの方が、
何百倍もリアルで、それこそが、
どんなにつらい時でも頑張ることのできる原動力だと感じます。
願わくば、「わたし」も<<わたし>>もあらためて
ともにあることをつねに感じることができて、
より「わたし」らしい人生を送れたら最高です。
今日の話は、「ふと気づく瞬間があった」わけで、
だからといって悟ったわけではありません。
いまもいろんな揺ればかり。忘れてばかり。
だからこそ備忘録として、
思い出した時に書いておいたという意味もあります。
でも
「あ、呼吸が呼吸している・・・」
この感覚を一度体験できたことはすなおに受け取って、
また、今ココへと歩もうと思っています。
「大切なこと」に思いをめぐらすときには、
理念にもとらわれることなく、
ぼんやりゆったり何かを感じ取るのもいいのではないかという
そんなお話です。
でも、なんにも感じなかったら?
それはそれでいいんじゃないでしょうか。
それくらいの気持ちでいる方が、
小さな枠を自然に乗り越えて、
大きく構えることができるのではないのでしょうか。
だって、<<わたし>>は、
「わたし」をどんなときでも、
いつもよくしようとしてくれていますから。
P.S
これからもブログをお届けしますので
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こちらも役に立ちます(「一言で社員のやる気を変えられるリーダーの言葉術とその秘訣とは」)
執筆者紹介
オフィスオントロジー
代表 友成治由
人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家
10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。
哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。
経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など
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