マルクス・アウレリウス「自省録」でこの現代を謳歌する
わたしの座右の書のひとつです。
大学時代は哲学を専攻していましたが、ストア派哲学授業で知りました。
以来、何度も読み返し、今も、妙に読みたくなってページをめくります。
目次
マルクス・アウレリウスとストア派
マルクス・アウレリウスは、紀元121~180年、2世紀のローマ皇帝です。
いわゆる「五賢帝時代」の最後の皇帝であり、ローマ帝国の全盛時代をになった一人です。
たしかにマルクス・アウレリウスは皇帝としての資質にあふれた人でしたが、周囲の多帝国が大きくなるにつれて民族からの侵略や反乱などが頻発し、広いローマ帝国内を鎮圧や平定に東奔西走した人生でもありました。
17歳に皇帝になっていらい、重責をはたしながら、58歳で遠征の地でなくなりました。
彼は政治や軍事よりは、学問が好きだったようです。
ことにストア派哲学を学び、自分自身を見つめ、大きな宇宙や運命に思いをはせ、しずかに瞑想することが好きな、そんな人でした。
「自省録」は日々の遠征の中で、自分への日記、というか、浮かんだ思いを記しながら自分を見つめるために断片的に残し続けていたものです。
そういった性格の本ですので、ストーリーやきっちりした構成があるわけではなく、主にストア派哲学の観点から自分自身や社会、宇宙をみつめた思いが短い文章でつづられています。
ストア派哲学というと、皇帝ネロの家庭教師をしながらも最後はネロに殺されたというセネカが有名です。
このように説明されています。
「ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。
自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている。」wikipedia
人生を楽しもう!というような快楽主義(エピキュリアン)と比較して、厳格主義などと呼ばれることもありますが、ゴリゴリの規範で固めるという外からの要請ではありません。
自分自身の内側に確固たるものを築くという「運命に向き合う哲学」といったものです。
困難や苦難が生じたとしても、自分の内側を静かに保ち揺るがないでいれば、それらに振り回されることはない、といったような内容です。
ひとによっては、初期仏教との類似性を指摘することもあります。
「自省録」の言葉はわたしたちに響く
「自省録」の第一章はこんな感じで始まります。
一、祖父ウェールスからは、精廉を温和(を教えられた)。
二、父に関して伝え聞いたところと私の記憶からは、つつましさと雄々しさ。
三、母からは、神を畏れること、および惜しみなく与えること。悪事をせぬのみか、これを心に思う冴え控えること。また金持の暮しとは遠くかけはなれた簡素な生活をすること。
・・・
すこし進んだ第五章の冒頭はこうです。
一、明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中に潜り込んで身を温めているために創られたのか。・・・
どうでしょうか。
倫理的に自分を確立し、人間としての社会的責任を果たすための奮い立たせる言葉に満ちています。
わたしは大学時代、この本を一度全部読んだ後も、毎朝数ページずつ読んでいた思い出があります。マルクス・アウレリウスのこの言葉に、わたし自身も奮い立たされていたものです。
とはいえこの「自省録」の視点は、いわゆる人間社会でよく生きる方法や考え方を述べたわけではなく、その根底にはコスモロジー・宇宙論がありました。
たとえば、
「普遍的物質を記憶せよ。
そのごく小さな一部分が君なのだ。
また普遍的な時を記憶せよ。
そのごく短い、ほんの一瞬間が君に割り当てられているのだ。
更に運命を記憶せよ。
そのどんな小さな部分が君であることか。」
「おお、宇宙よ、すべて汝に調和するものはわたしに調和する。」
「自分の内を見よ。内こそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえずわき出るだろう。」
いかがでしょうか。
宇宙や自然を大きな調和のとれたものとし、その一部としてわたしたちは生かされている。
その宇宙や自然の「魂」はわたしたちの内にある。
そんなコスモロジーですが、この感覚はわたしたちにも通じるところがありませんか?
大自然の一部としての人間、真心や素直さを美徳とする倫理観など、ストア派哲学って日本にもずっとあったものと通じるところがあります。
だからわたしが読んでも、すーっと心に響いたのかもしれません。
まとめ~「自省録」で現代を生きよう!
今回この「自省録」を取り上げたことには、特別な理由はありません。
ときどき手に取りたくなる、その「ときどき」が来てしまったのです。
今回紹介した訳は、神谷美恵子さんの訳です。
この方はハンセン病患者と接した「いきがいの研究」などの著者でもあり、まさに苦難や困難に向きった方々がそれでも前向きに生き抜く姿を伝え続けた方でした。
神谷美恵子さんの力強い訳文のおかげで、マルクス・アウレリウスのたたずまいまで伝わってくるような気がします。
最近新訳が出てわたしもパラリとめくったのですが、一番多感な時代に接したせいか、わたしには神谷美恵子訳の方がズシンとくるようです。
新訳が出た背景は、この混迷の現代、マルクス・アウレリウスの言葉を求めている方が多くいらっしゃるからでしょう。
個人として楽しく人生を謳歌したいものです。
同時にこの時代に生きているという「運命」の一部でもあります。
そのどちらにも響くのが「自省録」であるとも感じます。
個としてゆるぎない内なるものをもち、この人間社会で果たすべきことを果たしていく力強さがある。
実はそれこそが本当の自由であり、人生の謳歌ではないかと「自省録」を読んで感じるからです。
「自省録」は素晴らしい本です。
断片集で量もそれほど多くないので読みやすいと思います。
ぜひ一度読んでみてくださいね。
「遠からず君は何者でもなくなり、いずこにもいなくなることを考えよ」
死すべきものが人間。
しかしそれもまた大宇宙の調和。
さあ、そんなわたしたちです。
せっかくのこの瞬間を大いに楽しみましょう!
(…これはエピキュリアン(快楽主義)的かな?)
P.S
「自省録」のトピックそのものをお届けすることは
少ないかもしれませんが…
哲学に関することは、これからもブログでお届けするかと思いますので
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執筆者紹介
オフィスオントロジー
代表 友成治由
人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家
10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。
哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。
経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など
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