理念経営の根本問題。会社に「人間」ありますか?
それは大会社だけでなく、街の商店やひとり起業家でも同じです。
わたしが述べるまでもなく、もちろんいつでも「人間」はテーマなのですが、現代やこれからの時代はますますクローズアップされるでしょう。
だからこそ、あなたの会社に「人間」があるかどうかが問題になってきます。
目次
「人間」は見過ごされてきた
人間とは何か、という大きなテーマを扱うにはこのブログでは手に余ります。
ただ、「人間とは何かを考えること」が、ひとりひとりの切実なものになっていることだけが、ほんの少し共有できればうれしいです。
別の話のようですが、将棋の世界、ちょっとだけお付き合いください。
将棋はご存じのように、人間が盤をはさんで智慧の限りを尽くす盤上の戦いです。
最近ではネットやニュースで、対局風景を見ることも多いでしょう。
昭和の時代は、決死の戦いにまつわる対局者の人間ドラマが語られていました。わたしも好きでよく将棋雑誌を読み込んでいたものです。
さて、しかし、そんな汗くさい血のにじむような人間ドラマですが、本当にそんなドラマが真価を感じるようになったのは、ここ最近数年のことです。
なぜか。
それはAIが登場したからでした。
現役の名人がAIに対局で敗北したのはつい最近、2017年のことです。
いまやプロでさえ、当たり前のようにAIの指した手で勉強するような時代になりました。
AIが登場し、「人間とAIのどちらが上か」を争っている2010年代前半は、「もし人間が負けたら将棋界は終わり」という意見も強くありました。「頭脳ゲームの象徴である将棋で人間が負けることはない。」と強く信じられていたのです。しかし、結果は、もう人間が勝ち越すことはないレベルにまでなりました。
実際当時人気だったある将棋コラムニストのひとりは、プロがAIに負けたのを見た瞬間去ってしまった人もいました。
では、将棋界はその後どうなったのか。また将棋のプロはどうなったのか。
将棋を知らない人でも知っている人が多くなるくらい、将棋界は盛り上がるようになったのです。
もちろんそこには、藤井聡太二冠という若きスーパースターが現れたことやSNSが隆盛になったという外部要因が大きいのですが、本質はそこにはありません。
勝つだけならば、今のAIはプロ棋士に藤井二冠が達成した29連勝どころじゃない連勝をするでしょう。
「人間が29連勝を成し遂げた」ということに、みな熱狂したのです。これまで、他の人間が成し遂げられなかったことを、若きスターが塗り替えっていったところに、感動のドラマを感じたのです。
その人間ドラマの感動が、SNSという拡声器を通じて全国に知れ渡った結果、将棋界の他のプロ棋士もどんどん知られるようになり、その個性や人柄が話題になっていったのでした。
将棋そのものもの、「人間の将棋」として、楽しまれるようになりました。
AIにはないとんでもない逆転劇や、極度の緊張の中でさえAIと同じように正確無比に指すという頭脳力や精神力に、一喜一憂するのです。
昔は、人間しかいなかった。それが当たり前だったし、それ以外考えられなかった。
だから、さまざまなドラマがあることはみな知っておりそれを楽しんでいたのですが、「人間を」わざわざ意識することはありませんでした。
現代は、人間が当たり前というものではなくなりました。
だからこそ、あらためて「人間とは何か?」がクローズアップされてきたのです。
人間にこそ感じること、人間だから出ること出てしまうこと、人間だから不完全であること、でも人間だからこそ目指していくこと・・・
将棋界にはいち早く起こりましたが、そんな「人間とは何か?」は、これからますます強くなるでしょう。
経営やビジネスを取り巻く環境も
経営やビジネスを取り巻く環境も同じように「人間」で大変化してきましたよね。
たとえば「働き方改革」。
働き方改革は生産性向上や女性・高齢者の雇用など、問題時代に対応するためと理由はコーディングされていますが、ざっと上空から眺めて見れば、「人間らしくいきたい」という無意識的な主張が表に噴出してきている現象のひとつですよね。
その他噴出しているさまざまな主張も、無意識的にもっていた感情や主張などが、遠慮することなく噴出してきているものといえます。
ひとつひとつの主張の良し悪しは置いておきますが、すくなくともひとりひとりが「わたしという人間」「人間としての生き方、在り方」などを、より意識していることは間違いありません。
「人間とは何か?」
というテーマは、大げさに論じることはなくても、みなひとりひとりが日常でもっている時代になりました。
人間は人間を感じたい
人間は、やっぱり人間を感じたいのです。
それも、「ありのままに生きる人間」を。
一昔前は、商品やサービスも、機能が優れていて盛りだくさんであることや、費用対効果が高く経済的合理性があることがうたわれていました。
ブランド品だって、おおかた、「高いものをもっている」というステータスで選ばれています。
それらはもちろん現代でも大切な要素のひとつですが、違ってきたのは、それは「人間が求める一側面である」ことが、よりはっきりしてきたことでしょう。
人間は思った以上に複雑で、経済的合理性だけではなく、曰く言葉にできない感情や情念や、崇高さや、またときには意地汚さやエラーともいえるような間違いがある存在だということです。
だから、デザインであったり、経営理念であったり、そこではたらく従業員の姿であったりがその商品やサービスや企業を選ぶ基準にもなってきました。
つまりそこに「共感する人間」というものが現れているのですね。
だから「共感する人間」が感じられるところには、それが個人であれ企業であれ、人が殺到して熱狂するようにもなりました。
逆に言えば、「共感できない人間(場)」からは、すぐにでも去ってしまうことであり、会社や組織という面でいえば、すぐ辞めるとか勤めていても心の距離を置き続けるという現象となって現れています。
ひとりひとりが「人間とは何か?」を意識的にも無意識にも感じる時代は、会社にそれがないのは、経営戦略の観点としても、もうよろしくない時代になっていると言えます。
つまり、会社として生産性を上げるには社員が会社にコミットする必要がありますが、そのコミットはもう単純に給与や福利厚生だけではなくなっているということですね。それだけでつなぎとめることはできない。
会社として、
「わたしたちが考える『人間とは何か?』はこれだ。」
を明確にして、ひとつひとつの日常の取り組み(コミュニケーションのやり方や、評価体系なども含めた全般)になっていく必要があります。
その「人間的共感」にひとは集まり、また去っていきます。
だからこそ、経営者のすなおな思い
だからこそ、今の時代だからこそ「経営者のすなおな思い」が大切です。
経営者として、「本当はこんな幸せをつくりたい」という、すなおにわきあがるものはありませんか。
どんな素朴なものでも、素朴であるほどいい。
「家族のように笑いあいたいなあ」
「みんなで信頼してひとつになりたいなあ」
「『誇りに思います』って言ってもらいたいなあ」
そんな「人間としての」素朴な幸せへの思いというものは、実は、だれもが根底にもっているものです。
でもこれまでは、
「経営はこうあるべきだ」
「組織はこうあるべきだ」
「制度はこうあるべきだ」
「管理やマネジメントはこうあるべきだ」
と、かなりの昔ながらの「べき論」で覆われてしまっていました。
もちろんそれらがあなたの会社にとって素敵でぴったり合うものであればどんどん取り入れていけばいいのですが、違和感があるならば、本当はそれは「あなたの会社にとっては」合わないシロモノなのです。
もういちど、素朴に考えて、あなたの人間的な思いから取捨選択して考え直してもいい時代になっています。
すなおな思いは、だれもが共通にもっている思いにつながっています。
すなおな思い=本質価値を大切にしてもいい時代になりました。
すなおな思い=本質価値こそが、社員もお客様もひきつける時代になりました。
あなたのすなおな思いを大切にしてもいいのです。
「人間とは何か?」
大きなテーマではありながら、身近で半径3メートル内にあるテーマになったのですね。
P.S
社員とひとつになる、人をひきつける本質価値の
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こちらも役に立ちます(「一言で社員のやる気を変えられるリーダーの言葉術とその秘訣とは」)
執筆者紹介
オフィスオントロジー
代表 友成治由
人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家
10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。
哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。
経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など
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