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違いはどこ?やる気を引き出す人のコミュニケーション法

「ひとのやる気を引き出せる人」と「引き出せない人」の違いはどこにあるのでしょうか?

よろしくない例、よろしい例を挙げながら、その根底にどんな違いがあるのかを考えます。

「ひとのやる気を引き出せる人」は実は自然でリラックスしている。そんなことも感じてくれると嬉しいです。

目次

やる気を引き出せる人を見てきました

ちょっと抽象的な話になりますが、
ひとのやる気を引き出すコミュニケーションの要諦です。

ひとのやる気を引き出せる人とそうでない人がいます。

経営者やリーダーであるとか、社員やメンバーであるとか、
立場や役割の違いは関係ありません。
どの立場でも「すごいなあ」と驚くべきひともいるし、
「惜しい」と思ってしまう人もいます。

その違いはどこにあるのか。
クライアントでも、起業家・事業家支援でも、
メンタルケアの活動でも多くの方と接してきて、
またわたし自身「やる気を引き出す」ことを仕事としてきた中で
確実に言えることがあります。

それは、、、と知見をのべるまえに、
あまりよろしくない例をお話しますね。

やる気を引き出せない人がやっていること

「やる気を引き出したい」

と思う方―経営者、リーダーを想定して―が、
やりがちなよろしくない例です。

たとえば、このようなものです。

・「アメとムチ」方式-「ご褒美と罰」方式を使う
・徹底的に細かいところまで指示、指導する
・きちんと決めた行動をすべしと管理を強化する
・お前のためと称して、欠点を列挙する
・決定事項と称して、相手の行動を決めてしまう
・理念、ミッション、ビジョンと称して、その行動が善、そうでない行動を悪と訴える
・大きな目標を掲げて数値目標を掲げる
・仕事の意味や大切や必要性を等々とのべ説得する
・お客様のためと称して等々と説得する
・etc…

すみません。
少し悪意の入った書き方をしています。

ただ冷静に考えてみて
「あ、自分もやっているかも」と受け止めて
くれる人もいるかと思います。

悪意の入った書き方をしているのには
理由があります。

上記によりかえって

「やる気をなくしてしまい」

そして、

「それを言えずに悪循環になってもっと沈んでしまう」

そうやって苦しんでいる社員や、
そして、それにより同じく苦しむ経営者を
見てしまって悲しいからです。

やる気を引き出せる人がやっていること

逆に「やる気を引き出せる」ひとや会社の例も出しますね。

・基本的に機嫌がよい。感情が安定している
・相手の話をよく聴く
・アドバイスをしてもやるやらないの選択は相手に任せる
・改善を述べるときも、つねに相手の美点を探す
・理念、ミッション、ビジョンへの行動さえ相手を信頼する
・鼓舞するとき、何もいわないときをしっかり見極めている
・相手を信頼し、自分はいつでも支援できる準備だけしておく
・仕事の意味や必要性、お客様のためを絶対視していない
・etc

いかがでしょうか。
「たしかにそうだ」と思う人もいれば、
「ぬるい、現実はそうじゃない」という人もいるでしょう。

ただひとつ言えるとすれば、
「現実、こちらのほうが人のやる気を引き出している」
ことだけは言えます。

今回あげたのは、さまざまなやり方の一部です。
よろしくない例と、やる気を引き出す例、
どちらも挙げようと思えば無数に出てくるでしょうから、
表面的な目に見えるやり方を云々することはありません。

これらの点から見える、
「やる気を引き出す人」とそうでない人の違いは、
そのコミュニケーションの前提にあります。

コミュニケーション前提の決定的な違い

それは、
目の前のひとを、
「対象」として見ているか、
「ひと」として見ているかの違いです。

「対象」として見るとは、
たとえば、

「社員とは会社の業績を上げるためのもの」
「目の前の部下は、チームの生産性を上げるためのもの」
「目の前の相手は、自分の利益を実現するためのもの」

そんな、ある限定された目的のためにいる者、という
前提でコミュニケーションしていることです。

だから、そのコミュニケーションのやり方は
つねに

「相手を動かそう」

という<一方的に動かす>という発想になってしまいます。

つまり根底に、
「モノをA地点からB地点に動かす」ような発想があり、
「相手を自分の思う方向に動かす」というモノ(対象)的
コミュニケーションになるのですね。

理念、ミッション、仕事の意味…などの例をあげましたが、
たとえそれらの中身が美しくても、
「相手を自分の思う方向に動かす」という発想ならば、
同じモノ(対象)的コミュニケーションです。

なぜ、
モノ(対象)的コミュニケーションがよろしくないのか。

それは、

「相手にも感情、考え、知性、可能性…がある」という
単純な事実を捨象(捨て去って)しまっているからです。

人がやる気を出す基盤は、「自由」です。

「自分が自分で自分のことを自由に決められる、できる、選べる」

そんな「自由」を基盤としてもつからこそ、
自分のこととしてやる気を出していくのです。

しかしモノ(対象)的発想からくるコミュニケーションは、
つねに一方的ですので、
それを受けている側からすれば、「やらされ感」でしかないわけです。

敏感なひとならば、
「相手の都合のために動かされている」
とさえ感じてしまうでしょう。

決して難しい話ではありません。
逆の立場になったらそうですよね。

わたし自身、
行動も考えも他人から一方的に
勝手に「こうせよ」と決められるのは、
気分が悪くなります。

むかしのひとは

「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」

とおっしゃっていますが、
単純なだけに、わたしたちが忘れやすい真実なんですね。

ひとがみずからやる気を出す時とは

相手を「ひと」として見ている人は、
その根底に

「気持ちも、感情も、考えも、知性も、可能性も…ある、わたしと同じひとりのひとなんだ」

という前提をもっています。

だから相手が経営者であろうと社員であろうと、
立場の違いに関係なく、

相手のよろこびにもかなしみにも、
誇りにも恥にも
前向きになりたくてもなれない弱さも
認められなくても頑張っている強さも

まるで自分のことのように受け止めようとします。

だから
相手が「ひとであるという自由」を
まるごとそのまんま尊重した
コミュニケーションになるのですね。

ひとは自分を尊重してくれる人のいうこと聞きます。
そして、
ひとは自分のやる気は自分の内からしか引き出せません

だから
ひと的コミュニケーションはつねに、
相手がみずからやる気を引き出せるように、
相手を信頼して、
ただ相手がみずから考えたり感じたりできる
材料だけをそっと提出します。
もちろん選ぶのは相手の自由。

ひとは自分で選んだという感覚を持てたとき、
みずからやる気を出していくのです。
―それは自分で自分の人生を創れているという感覚ですね。―

「目に見えるやり方」に惑わされない

さてここで誤解のないように申し上げると
よろしくない例として挙げた、

・「アメとムチ」方式-「ご褒美と罰」方式を使う
・徹底的に細かいところまで指示、指導する
・きちんと決めた行動をすべしと管理を強化する
・お前のためと称して、欠点を列挙する
・決定事項と称して、相手の行動を決めてしまう
・理念、ミッション、ビジョンと称して、その行動が善、そうでない行動を悪と訴える
・大きな目標を掲げて数値目標を掲げる
・仕事の意味や大切や必要性を等々とのべ説得する
・お客様のためと称して等々と説得する
・etc…

これらが「悪い、絶対ダメ」と言っているわけではありません。
あくまでも大切なのは、その根底が、
「モノ(対象)的」であるか「ひと的」であるかです。

ですので、たとえば、

・徹底的に細かいところまで指示、指導する

などでも、
相手ときちんと心からのコミュニケーションを取り、
相手のことを尊重し、できれば同意を確認して、
お互いが自分の意思で選んだという一体感がある状態ならば、
すばらしいブレークスルーの方法かもしれません。

他の方法もおなじです。


そうなると問題は「表に見えるやり方」ではなく
「目に見えないわたしたち自身の内なる前提」の問題です。

だからこそ、
「ひとのやる気を引き出したい」
と思う人たちだからこそ、

自分自身をつねにみつめ、
自信をもちながらも謙虚になり、
まずは自分自身が機嫌よく安心できる存在になろうとし続ける
ことが大切になってきます。

そういった意味で「目に見えること」では
ないのですから、
「やる気を引き出せる人」のタイプも実に様々なんですよ。

情熱的なひともいれば、物静かなひともいます。
目に見えるタイプにも惑わされず、
あなたらしいままで
内なる根底だけを見つめていくことが大切なのですね。

わたしももちろんまだまだ未熟です。
ともすると気が付けば「モノ(対象)的」になっています。

そのたびに内省し、
また頑張ろうと心をあらたにしている毎日です。

そうやって、
自分に気づき続けることを肝に命じている日々です。

やる気を引き出すはじめ一歩

ただし、率直に言って、
もしモノ(対象)的コミュニケーションをずっとしていたとしたら、
このひと的コミュニケーションにいきなり変えるのは、
相当な抵抗を感じるかと思います。

やってしまうと秩序がこわれそうで怖くてしょうがない。

これはたしかにそうですよね。
そう感じることも、やはりひとりのひとだからだと感じます。

いまここでいえるとしたら、

それで大丈夫ですから、できるところから少しずつ、ですね。

次第に気づくかと思います。

「あ、やってみると、
ひと的コミュニケーションの方がずいぶん楽だ。
しかも社員はむっちゃ元気になってくる。」

「目に見えるやり方」の問題ではなく、
「目に見えない前提」の問題なので
最初は戸惑うと思いますが、
まずは「目に見えるやり方」からはじめて、
少しずつ感覚をつかむのがいいのではないかと感じています。

そうすると「目に見えない前提」にも
自覚的になってくることに気づくはずです。

やってみると本当に
自分にとって自然で、楽で、
なんだか楽しくなりますよ。

最後は、そんな風にお誘いして
あなたの自由を応援しつつ(^^)

余談

今日のお話は、
わたしの専門でもある「存在論」
にも基づいています。

ひとはモノであるまえに
ひとという存在。

オフィスオントロジーの根底です。

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執筆者紹介

オフィスオントロジー
代表 友成治由

人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家

10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。

哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。

経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など

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