脳科学最前線でわかった!「志」が社員のやる気を生み出す理由
今回紹介する本のタイトルです。
副題は~脳外科最前線の臨床でわかった「人間学」の効用~
脳はわたしたちの思考や感情をつかさどるものです。
どんな人にも脳があります。
脳神経外科医の著者がこの経験と考察は、会社の本物のやる気作りにとって、普遍的な発見を教えてくれます。
目次
- ○ 脳神経外科医のある経験
- ○ 人財問題の根幹を脳の仕組みから見ると
- ○ 左脳と右脳
- ○ 「エゴ脳」と「冷たい脳」が結びつくと・・・
- ○ 「公の精神」=「志」の力
- ○ まとめ
- ・執筆者紹介
脳神経外科医のある経験
著者である脳神経外科医の篠浦伸禎さんは、うつやその他、精神のバランスを崩されたひとたちの治療にあたっていました。
ストレスに押しつぶされそうな現代、多くの人が悩んでらっしゃいます。
一般的な治療は、抗うつ剤や精神安定剤を処方し緩和することだそうですが、投薬そのものは対処療法、つまりその場をいったん楽にするための方法であり、根本解決法ではないと言います。
精神的なストレスを少しでも、根本からよくしてあげたい。
そのために他にも方法を試しました。
音楽や運動や話し相手になるなど、さまざまな試みをしました。
音楽や運動の効能は、よく聞きますよね。いわゆる医療ではなく、人間的な生活行為を通して良くしていこうというもので、わたしたちのパッとしたイメージでも、よさそうだと思えます。
しかしもっとも手ごたえを感じたのは、医学でも音楽でも運動でもなかったというのです。
それは篠浦さんが個人的に愛読していた人間学に関する本をお渡ししたケースだったそうです。その本は、「神渡良平著『安岡正篤 人間学』」といい書籍です。(わたしも、読んだことがありました。)
「安心立命」
「人に向かわず点に向かえ」
など、東洋思想に基づいた人間の生き方が述べられています。
この本をわたすと私患者には、わずかとはいえ病状の改善が見られたそうです。
篠浦さんによると
「暗く元気のない様子だったかたの背筋がすっと伸び、目に力が宿り、失われていた自分自身を取り戻しかけているような印象を受けることも多くありました。」
人間学は、脳科学の観点からみても、現代にとってあたらしい脳の使い方を教えてくれるのではないか。
篠浦さんのこの問いかけは、わたしたちにとっても「人財育成」という面からも、ものすごいインスピレーションがわいてきます。
人財問題の根幹を脳の仕組みから見ると
人財、という面からもいろいろな問題がありますよね。
自分のことや目先のことばかり考えていたり。
仕事にやる気がなかったり。
ひとまかせ受動的で、自発性がなかったり。
動きはするが、思慮が浅かったり
確かに仕事はしっかりやるが、周りの同僚や仲間に配慮がなかったり、協力しなかったり・
数えたら次々に出てくるのではないでしょうか。
わたしたちの脳の構造は、ごくおおざっぱにまとめれば以下になります。
生命維持活動をになう「脳幹」と「小脳」。
怒りや恐怖といった情報や快楽などの本能的な欲をになう「大脳辺縁系」。
そして、思考や意識された行動や言語などをになう「大脳新皮質」です。
現代の問題の多くはまずもって、この「大脳辺縁系の暴走」ではないか?
そして、それを加速させているのが、「大脳新皮質」の中の、「左脳」ではないか、というのです。
大脳辺縁系は、快楽に忠実で、不安と恐怖におびえる動物の脳。
要は目先に快楽を得たり、目の前の不安や恐怖からなんとか逃れようとする脳です。
もちろんもともとは、そのようにして人類としての生存確率を高めるために進化してきましたから、大切な脳の一部。
ただし、現代という環境においては、快楽への誘いはつねにどこでもありますし、不安や恐怖からは目をそらすように世の中ができています。
自分の保存が第一なのが、この動物脳。
それが現代の環境ともあいまって、暴走してしまっています。
「わたしが、わたしが、わたしが」
目先のことや自分のことばかり。「私の脳」とも呼んでいます。
だからそれがちょっとでもうまくいかないと、ストレスになり、避けたり逃げたり、ときには心身に不調をもたらしたりしています。
その動物脳を、しっかりとコントロールするのが人間らしい性質をになう「大脳新皮質」です。
しかし、この「大脳新皮質」も、現代はバランスが崩れています。
左脳と右脳
左脳は、主に論理や言語活動を担います。理性的な思考や行動をつかさどっています、
右脳は、感性や直感やイメージ(空間的な把握能力など)をつかさどっています。
左脳というのは、一義的にひとつのことの質を極めていこうという働きをしており、そのベクトルは内側、自分自身に向いています。
だから左脳に疾患があると、感情の起伏が激しくなったり、物事を拒絶することが多くなるらしい。つまり、内側へむかっていこうというベクトルがはたらかなくなり、コントロールがしづらくなるそうです。
ちなみに傾向として、自殺率が高いのは左脳型のひとだそうです。
なぜならば、失敗や困難に出会った場合、その解釈や受け止め方が一義的(ひとつの意味だけ)であり、自分の内側にこもってしまうからだそうです。
右脳というのは、多義的な脳です。外界のさまざまな情報を、そのまま受け止めて、綜合していこうという脳。他者とのコミュニケーションであったり、環境の変化への対応などのはたらきがあります。右脳は外界と交流する脳ですので、正常だとひとはやる気もあって活発なのですが、右脳が弱ると、活力をうしなったり、うつ的な症状になってくるそうです。
物事には「質」と「量」という切り口はつきものですが、いわば「質」をになうのが「左脳」、「量」をになうのが「右脳」。わたしたちのモノの見方は、脳の見方なのだなあとつくづく思わされます。
脳科学は現代でも最先端ですので、細かいところで説明に不備があっても今回はお許しください。ご紹介されていることを、わたしなりにおおざっぱにまとめた程度だと思ってください。
人間ひとりひとり、左脳優位型、右脳優位型という脳の使い方のクセ(個性)がありますが、
どちらが良し悪しではなく、左右両方ともバランスよく働いていることがもっともよい。
だから自分自身の傾向を意識しながら、「バランスよくどちらも高めていこう」という心構えが大切になります。
左脳優位型だとおもったら、あえてさまざまな考えや感性に触れてみる。直感で動いてみる。
右脳優位型だとおもったら、物事を判断するときに、もう一段腰を落ちつけてみる。
など、いろいろな工夫は町の本屋さんでもいろいろ見つかるでしょう。
「エゴ脳」と「冷たい脳」が結びつくと・・・
さて、このような脳の構造の中、現代は「大脳辺縁系=動物脳=私の脳」と「左脳」だけが結びついてしまっているのが、多くの問題を生んでいます。
「私の脳」は、自己保存のための脳。いってしまえば、自分さえよければいい、そんな「エゴ脳」です。
左脳は、論理的につきつめて質を高めていきます。
それは科学技術を発展させ、効率的で生産背的な社会を生み出してきました。これ自体は、よろこばしいことでしょう。
でも一方極度に効率や利害だけをもとめた結果、他者への配慮がうすれたり、ムダなものは一切切り捨ててそれ以上のものを感じ取れなくなったり、豊かな可能性への意欲をうしなったりしています、
いってしまえば、「冷たい脳」化しているのです。
「エゴ脳」と「冷たい脳」が組み合わさった結果、自分勝手で、ムダ(だと自分が判断したもの)は排除し、とにかく目先の快楽の結果だけあればいい。
そんな「症状」が社会に蔓延してしまいました。
そのように社会の風潮がむかっていく結果、極度のストレスを抱えたり、社会そのものから脱落することを選んだりして、会社や組織もミシミシときしんできています。
「公の精神」=「志」の力
「今よりもずっと生きることが困難だった時代に培われた人間学には、様々なストレスに対処して脳のバランスを保つ生き方のヒントがあるのではないか」
篠浦さんは、この気づきから人間学の大切さを述べています。
とりわけ人間学の伝える「公(おおやけ)」の精神が、その大きなヒントと効用になると言います。
「公(おおやけ)」は、国家主義ということではなく、公共心、他者のために心を使うといった意味合いです。
弱いものに対する惻隠(そくいん)の情や、義侠心、愛など、一見古くさい言葉かもしれません。
しかし、左脳=冷たい脳に偏重する現代、これらの「公の精神」こそが、外界に対する脳=右脳を温かく刺激する力になり、結果として左右のバランスも高まり、人間らしく人間を動かす強い力になると言います。
実際に右脳というものは、時には危険を犯すのを承知のうえで弱い者を助けるなどの決断を下すことも分かっています。わたしたちには、本来、そんな「公の精神」をつかさどる脳があるのですね。
つまり、左右の脳のバランスよい活用=わたしたちが本来の自分たち自身であろうとするほど、「公の精神」は必要不可欠だというわけです。
過去の偉人たちをみても、公のために生きる精神=志をもつことで、公=私ということで、同時に「私の脳」さえも、しっかりと満たしてよろこばせていることがわかります。
吉田松陰は、牢獄につながれた経験をもち、小さな塾で後進を教育しましたが、そんな自分を「お金がない」「環境がよくない」「無駄」などと、目先の小さな「私の脳」で生きていたでしょうか?
いえ、日本の将来をになう若者へ志を伝える、その志自体が、かれの「私」だったはずです。
吉田松陰だけではありません。過去の人にも、身近なひとでも、そんな志を持ち、志で生きている人は今も多くいるはずです。
わたしの両親も、わたしのためにさまざまな苦労をしてくれました。
子育て自体は、ごくごく個人的な「私の脳」の本能かもしれません。
しかしそれはエゴではなく、わたしという他者のために人生を尽くしてくれた「公の精神」にもとづく、「大きな私」だと感じます。
志ある人は、志ある人を引き寄せます。
人は本来、公の精神=志を求めている。
志を感じ、持ち、大切にし、語りましょう。
わたし流に言うならば、わたしたちが堂々と志をまっすぐにして伝えたとき、その志は社員に通じ、社員を動かし、会社を変えていきます。
まとめ
冒頭に紹介した、人間学の本によって回復を見せた患者さんたちへのことば、
「背筋がすっと伸び、目に力が宿り」
この部分に、「公の精神」=「志」の力を感じ、心を動かされました。
ただ一瞬、アドレナリンが放出してぱあっと単にテンションが上がるだけでなく、自分の在り方にすっと一本の軸が通る。
わたしの経験からいっても、人財育成には、変に高度で最新の理論よりも、
「大切なことをまっすぐ語り、堂々とそれを生きる姿を見せる」
これがもっとも後進を育てると感じています。
志(夢、ビジョン、理念、ミッション、パーパス)を語りましょう。
わたしたち自身が、それに堂々となりましょう。
人は、社員は、その姿を見たいのです。そのように自分も働きたい、生きたいのです。
左右の脳のバランスが良く、思いっきり活用できる。
それはそのまま、人間としての本来の活力にみちた毎日になる。
科学と人間学が合わさったら、最強ですね。
こちらも役に立ちます(「一言で社員のやる気を変えられるリーダーの言葉術とその秘訣とは」)
執筆者紹介
オフィスオントロジー
代表 友成治由
人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家
10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるチェンジメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。
哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。
経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など
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