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思考法/意識法

2つの「棺桶」質問~あなたの道に悩んだら

先日あるセミナーに参加しました。
そこでお話されていた、2つの質問が刺さりましたのでシェアしますね。

どんな経営をしていったらいいのか?
どんな社員たちがいて、どんな風に育てていくのか?
そもそも自分は、本当などうしたいのか?どうしていったらいいのか?

あなた自身のこれからに思いをはせるときがあれば、この2つの質問に考えてみると、気づくことがきっとあるはずです。

ちなみに、わたしにはとても刺さりました。

目次

忘れられない教え

小学校3年生の頃、授業でこんなことを質問されました。

「これからの地球のキーワードはなんでしょうか?」

平和、進歩、科学、環境、平等、夢・・・

たとえばこんな感じで(もちろん3年生らしい言葉で)さまざまな答えがありました。

でも先生は、なかなか首を縦に振りません。
わたしもいくつか出しましたが、全然当たりませんでした。

生徒からの答えが止んだところで、先生はこう言ったのです。

「有限」

と。

地球には、何十億の人がいてどんどん増えていく。
でも地球は有限、限りがあるんだよ、そんな時代にあなたたちはどう生きますか?

今思うとよくぞ小学校3年生にそんな難しい質問をするもんだとも感じますが、だからこそかえって、普段とは違った先生の雰囲気とともに、いまでも記憶に残っています。

「有限」

地球もそうですが、何よりも有限であること。

それは自分の人生そのものであると実感したのは、さすがにもうすこし成長してからでしたが、今益々その言葉の重みを感じています。

わたしだけではありませんよ。
あなたの人生も、有限、なのです。

あなたの時間と人生

20世紀最大の哲学者と言われるマルティン・ハイデガーは、こう言っています。
「存在」とは「時(時間)」である、と。

その主著「存在と時間」をごくごく絞っていえば、わたしたちにとって、「時(時間)」への向き合い方が「存在」そのものである。

「時への向き合い方で、人生はまるで違って現れてくる」

そう言い換えてもいい。

若いころ、いつまでも人生が続き、自分は絶対に年を取らないと思っていた時は、のんべんだらりと過ごしていた。そのころは親のいう事もお小言に過ぎません。

でも、人生に終わりがきたときにこう思うわけです。

「自分は何をやっていたんだろう」

と。


耳の痛い話です(わたしの耳もとても痛い…)。

でも、その人生の途中で、「わたしのやることはこれだ!」とわかり、それを成し遂げるにはあまりにも人生の時間が短いと悟った時はどうでしょうか。

毎日毎日、一瞬一瞬が、貴重でたまらなくなるはずです。
そのとき何が自分にとって大切で、何が不必要か、誰に遠慮することもなくわかり、大切なものだけに時間を費やしたい、人生の時間を費やしたいとなるはずです。

それまでは周りに見える風景も、単なるのんべんだらりとした風景だったものが、「時」を生き始めると、人生の使命を実現させてくれるもの、いとおしいもの。大切なもの。まるで違った「存在」となって現れてきます。

映画は終わりがあるとわかっているからこそ、その途中のスペクタクルに没頭することができます。いつまでも終わりがない映画は見る気もしませんよね。

有限。

終わりがあるからこそ、そして終わりがあると気づいたとき、人はその人生というスペクタクルを思いっきり楽しもうとするのです。

組織にとって経営手法よりも大切なこと

そのセミナーは経営者向けだったのですが、テーマは「本当に良い会社/社員たちとの関係をつくるには?」でした。

いわゆる経営学的な話もありましたが、それよりもつねに問われていたのが

「あなたは、どう生きたいのか?」

社員たち―人間―が関係することは、テクニックや特定の手法だけでは、結局のところどうにもならないのですね。

どんな会社にしたいのか
どんな関係をむすびたいのか
どんな社風にしたいのか
どんな経営者・リーダーでありたいのか

そんな、人生そのものに関わる問いに正面から向き合うことだったのです。

経営者やリーダーも人間ですが、社員も同じ人間ですから、人間としてのどんな想いやどんな在り方をしてきたのか、したいのか、するのか。その通い合いこそが、組織の在り方を作り上げていきます。

そんな

「あなたは、どう生きたいのか?」

を端的に考えさせる質問が2つありました。

棺桶に入った時に聞く言葉

すこし考えてみてください。

「あなたはあなたが死んだときに、お葬式でどんな弔辞を読まれたいですか?」

あなたが棺桶の中で聞かされることはどんなことでしょうか?

・誠実に生きた人でしょうか?
・会社を大成功させた人でしょうか?
・社員に慕われた人でしょうか?
・地域に喜ばれた人でしょうか?
・家族を大事にした人でしょうか?

それとも、ほとんど何も言ってもらえないのでしょうか?

自分が死んだときの弔辞、自分が読んで欲しい弔辞を考えることで、本当は何を大切にして、どんな風に生きたいかが見えてきます。

ぜひ10分でもいいので、しっかりとお時間をとって考えてみてくださいね。


そしてもう一つあります。

実のところ「自分の弔辞への質問」については、あらためて問われるとグサリとくるのですが、わたしも知ってはいました。

ただもう一つの質問は、知らなかっただけでなく、さらにぐさりと胸に刺さるものでもあったのです。

棺桶に入った時にコソコソと言われる言葉

もう一つの質問、

「あなたはあなたが死んだときに、お葬式でどんなことを言われたくないですか?」

言われたいではなく、言われたくない言葉。

周りの人は普段はニコニコ接してくれいたけれども、あなたがなくなった時に、棺桶の前で、社員やお客様にコソコソとこう言われていたらどうでしょうか。

・このひとは、結局自分のことだけ、だれも慕ってなかったよね。この葬式もお付き合い
・裸の王様でさみしい人だったよね
・結局、無難なことばかりで、全然チャレンジしなかった人だよね
・結局口だけ、何にも残せなかった人だよね
・もう、この人のことは忘れよう、どうでもいい

ごめんなさい。
上記を書きながら、自分自身の胸が痛くなっています・・・

「言われたくないこと」、そこには、かえって自分の価値観が強烈に現れてきます。

人間は、獲得よりも後悔にこそ痛みをともなう生き物ですから、「葬式のときに言われたくないこと」は、かえって生々しく自分が怖れていること、だからこそ、本当は叶えたいことがあぶり出されてきます。

もちろん、死んだら何を言われてもいい、という人もいるでしょう。
それも一つの在り方です。

いずれにしても、一度「死んだときにお葬式で言われたくないこと」も合わせて質問に時間をとってみることで、自分の本音の価値観や願望に気づくことができます。

まとめ

わたしは研修やセミナーなどで、年々、「まっすぐな想い」を語るようになりました。

夢、志、意味、ビジョン、ミッション、使命、本質価値、希望…などなど。

もちろんわたし自身も成長途中、気づきの途中であったとしても、伝えるときはまっすぐ堂々と伝えたいと。

それは、目の前で聴いてくださる人も、本当は同じ想いをもっている、もちたいとおもっているからです。

青臭いですし、しゃらくさいと言われるかもしれません。
きっとそうなのでしょう。

でも、わたしが堂々とお伝え出来たとき、もっとも皆様に響いていることも事実です。

人間同士の想いが響き合うところに、お互いの心の変化や成長が生まれると信じています。

有限

日に日に重みを感じています。

だからこそ伝えることは伝えたい。

あなたは、あなたの「時」をどう生きますか?

執筆者紹介

オフィスオントロジー
代表 友成治由

人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家

10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるチェンジメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。

哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。

経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など

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