使命を果たせる人の心を強くする方法
そんな未来をよくしたい生き物です。
でも、千差万別、それぞれがそれぞれに違う考え方を持っています。
「うちは夢やビジョンを共有しているよ」
そう言いながらも、その夢やビジョンへの感じ方、熱量の度合い、描いている光景・・・
実は同じ言葉でも、人それぞれに内実は180度異なっている。
本当によくあります。
異なっているだけならばまだしも、異なりが軋轢になり、組織不和、崩壊につながりかねないこと事態になったりします。
全く違う価値観同士の方が、かえって関係性はつくりやすいものです。
お互いに「違う」と簡単に認められますから。
違うことを前提に、関係を模索することができます。
しかし、「同じの中の違い」は、ややこしい。
ときには大きな軋轢、対立を生んでしまいます。
一応は同じ土台にいる。しかも自分は「正しい同じ」をもっているとお互いに思い込んでいるため、小さな違いが気になってしょうがない。
相手を「完全に同じ」にしたくなるのです。
違い過ぎるとわかり合える。
近いからこそわかり合えない。
かなしいのか、面白いのか。
でもそれが人間社会ですね。
どちらが「悪い」とはわたしは思いません。
しかしどちらも「弱い」とは思います。
わたしも含めて。
しかし、
とはいうもの、その会社、組織を何とかしないといけない時がある。
小さな違いを乗り越えて、お互いに真に目指していた本当の夢、ビジョンへ向かっていかなければならないときがある。
しかも自分がそれに気づいてしまった。
ああ、でも自分がそれを何とかしようと思っても、反発、抵抗、中傷誹謗が在るかもしれない。
ふつうの人間であり、心が弱い生き物である自分。
どうすればいいんだ。
どうしたら、気づいてしまった使命を果たせるほどの心の強さをもてるのか。
心一つ組織一体化、組織変革に携わる人の、実は最大のテーマ。
というより最大の個人的な悩み、痛みかもしれません。
これ以降に示すのは、わたしやわたしの周りの方々から経験で得てきたものです。
でも、過去の偉人などの伝記、話を見ても、ほとんどの人がこの状態になったときに、ものすごい力、心の強さをもったと感じます。
もし、あなたが自分の使命に気づいた人であれば、大きなきっかけになるかと思います。
目次
メンタルを強くする方法?
「メンタルを強くする方法」
そういったテーマの本はよく売れています。
とくにストレスが多い現代社会においては、多くの人の悩みなのだと感じます。
わたしも例にもれず時々読んだりするのですが、多くの場合の対処法は
「人は人、自分は自分」
乱暴ですが一言で言えばそうまとめられるかと思います。
たしかにその通りでして、わたし自身も何度もそういった言葉を指針にしてきました。
普通の日常では、「人は人、自分は自分」は、人生を明るく生きる最大のコツとも言っていいでしょう。
しかし、です。
そうは言いつつも、それだけでは乗り越えられない事態があります。
この対処法がダメというよりも、ここからさらに次の次元に進まないといけない時があるのです。
それが
組織一体化や組織変革、皆を心一つにしていくとき。
人は人、自分は自分とは言っておられない時です
その目の前の人も自分も、同じ夢、ビジョンに向かわないといけない時。
とりわけ、それに全員で向かわなければ、その組織も会社もどん底へと崩壊してしまうことが見えてしまったときです。
真正面からその「人」と向き合わなければならない時。
「人は人、自分は自分」
を含みつつ、さらに次の次元に進まなければなりません。
もちろん99%の人はその事態になることはないのでしょう。
でも、時に1%の人がいます。
他の人は気づかなくても、あなた自身は気づいてしまった。
しかも自分が何とかできそうな立場になっているときがあります。
使命に気づいてしまったとき、といってもいいでしょう。
やるかやらないか。
立ち向かうか逃げるか。
究極の選択を迫られつつも、やらない選択肢はどうしてもとることができない。
そんなときです。
元々が弱い生き物であるわたしたち。
しかし、何とかして乗り越えないといけない。
「人は人、自分は自分」とだけ言ってられない。
なんとかその「人」も同じ船に乗せていく必要がある。
では、そんなときどうすればいいのか。
通常わたしたちは、まだその事態に自分が面していないときは
「人を動かす方法」
「人を操る方法」
「〇〇組織づくり」
「〇〇チームビルディング」
「〇〇リーダーシップ」
など、様々なことを学んでいます。
ひとつひとつは学びも多いですし、確かにその通りです。
すべてしっかり身に着ければ、すばらしいリーダーとして、危機の時にも小異を越えて「人」を同じ船に乗せることができるのでしょう。
しかし、使命に気づくような事態はいつやってくるか分かりません。
また上記のことを身に着けたことが、すべて「役に立たない」そう思わされてしまいます。
ああ、そうか。
もっとも重要なことは、学んだ知識やスキルではないんだ。
「自分自身」なんだ、と。
自分自身が使命を果たせるような自分になってはじめて、学んだ知識やスキルも意味をなしてくるのだと。
ここに気づいたときは愕然とするのですね。
常に問われるのは、「自分自身」なのですから。
正直、怖いです。逃げたいです。
人からの中傷誹謗は、批判、反発、無視、全部嫌です。
傷つきます。
やっぱり、好かれたいし、良く思われたいし、軋轢も生みたくありません。
しかし知識やスキルは、それだけではまったく意味をなさない。
どうしても、自分自身をどうかしないとダメだと自分自身が一番思っている。
さあ、どうするか。
わたしもさんざん悩みましたし、悩んでいる方のサポートもしてきました。
でもなかなか「自分自身」は強くならない。
強くしようとすればするほど、かえってその弱さが目立ってしまい、できない自分に自己嫌悪にも陥ってしまう。
そんなある時、ふと気づきました。
わたし自身に気づいたことでもありますが、思い返してみればわたし以外のわたしが尊敬したり、サポートしたり皆様からもふと気づかせれたことがあるのです。
それは
「自分自身」
を問題にしている限り、強くなることはない。
ということです。
なぜいつまでたっても心が強くならならないのか
自分。
こんなにも身近で親しみがありながら、こんなにもわけわからず、振り回されるものもありません。
自分とは何か。
古今東西の哲学者、だけではなく、芸術家も文学者も問うてきました。
いや、そんな●●者だけではありません。
人はみな問うてきたと言っていいでしょう。
自分という人間は、自分ひとりしかいません。
だれもが自分が愛しく、自分を大切にいきたいと願っています。
だからこそ、自分自身に悩み。自分自身を本気でなんとかしたいと思っています。
しかし、
ああ、そういうことか、
気づいた瞬間があります。
「自分、自分と言っているときの自分は、自分を守ろうとばかりしている」ことに。
たしかに自分を愛して大切にすることは大切です。
それはずっと変わらない。
でも悩みや痛みからなんとか逃れたいと思って自分を強くしようというとき、それはただ自分を守ろうとしているだけだったと。
つまり、古代ギリシャ哲学でいう「ホルメー」。
自己保存本能です。
現代風に言えば、エゴ、といっていいでしょう。
「自分自身を強くする」というとかっこよく聞こえますが、要は「自分自分」とエゴが騒いでいるだけではないのか、と。
人は人だ、自分は自分。振り回されないのだ、それでいいのだと堂々とみせながらも、そっと裏側の除くと傷つき痛めつけられることを何とか避けようとしている。
不安がなくなることはなく、夜は眠りも浅く、朝おきても、何も解決している感じがしない。
エゴがそうやって自分を守っているだけだったのではないか。
そう気づいたときに、同時に、もう一つのことにも気づきました。
そうは言うものの、本当に揺るぎなく進めている、「人」と向き合っているときもあった。心が強いか弱いか、そんなこともどうだっていい状態。
そんなとき、「自分」が消えていた・・・
純粋なる呼ばれた者へ
「自分」が消えている状態。
なのに、物事には果敢に取り組めており、「人」ともガンガン向き合っていけて、組織一体化や組織変革も進んでいる。ひとりまたひとりと同じ船へ乗せることができている。
自分、自分と言っているときには自分に振り回され
自分がなくなったときには、かえって最高の自分になっている。
問題は
「自分をどうするか」と言っていることにあったのです。
「自分をどうするか」と言っている状態。
それはエゴがそれっぽく自己保存本能を保つために忍ばせた状態。
一見すると自分と向き合うかっこいい自分ですが内実は弱い自分を弱いままに隠そうとしている状態だったのでした。
では、自分が消えている状態とは何か。
最高の自分になっている状態とはどういう状態か。
それは、ただ純粋である状態です。
純粋に、この組織をなんとかしたい。この会社を何とかしたい。
純粋に、愛する「人」たちを守りたい、幸せにしてあげたい
純粋に、育ててくれた恩人に子供たちに頑張っている姿を見せてあげたい
純粋である時、ひとは、ただ目の前の「人」のために自分をささげることができます。
いや、逆なのかもしれません。
自分以外の、大切な「人」たちのために自分をささげているとき、人は純粋になれるのです。
子供を愛し、自分を惜しんででも、一生懸命に働き育ている親御さん
社員を愛し、社員のために日夜知恵を絞り続ける経営者
郷土を愛し、郷土を守り、発展させるために奮闘するひとたち
自分ではないだれかのために自分を捧げている人たちは、強いです。
自分を守る必要もなく、ただただ純粋に生きているからです。
おそらく上記のことは、ほとんどの方には「それはそうだ、理解できる」とは思っても、心の底にまで刺さらないでしょう。
いままでも、どこかで誰かが言ってきたことです。
特別なことではありませんし、あたりまえのことだからです。
しかし、どうしても組織を、会社をなんとしなければならない。
それに気づいてしまったあなた。
使命に気づいてしまった、1%のあなた。
使命とは、英語ではCalling、「呼ばれた者」という意味。
不思議な話のようで恐縮ですが、気づいたあなたは何か大きなもの~神といっても、人生といっても、大きなわたしといっても言葉は何でもいいです~呼ばれた者なのです。
今回は、そんなあなたに語っています。
あなたには痛いほどに伝わっているのではないのでしょうか。
日本の大変動期、幕末の西郷隆盛の座右の銘は「則天去私」でした。
「天に則り(のっとり)、私を去る」
その西郷隆盛は、江戸城開城交渉の際、幕府側から交渉にやってきた山岡鉄舟をみてこう言ったと言います。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬ也。」
山岡鉄舟も、そのとき、西郷隆盛が感動するくらいに私を去っていたのですね。
幕末、朝廷側も幕府側も、そんな私を去ったところで同じ船に乗り、今の日本を創ったのですね。
さあ、進もう!
わたしもまだまだこれから。
事に臨むときは、大切な人たちのために、大きな何かをとともに、純粋に取り組んでまいります。
さあ、それぞれの場所で一緒に未来を作り、歴史を創っていきましょう!
あなたの使命への歩み、心から応援しています!
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