組織も人生もみるみる変わる「のびやか思考」
そんなときには今日のお話です。
あなた自身の人生も変わってくること請け合い。
それくらいに状況を変える力があるのが、この「のびやか思考」です
目次
- ○ うまくいかないときに試してほしいこと
- ○ 今やっていることはいったんストップ
- ○ 組織も状況も心も縮こまらせているものとは
- ○ あなたはどちらを選びますか?
- ○ 心とともにある思考法
- ○ 「のびやか」になる方を選ぼう
うまくいかないときに試してほしいこと
やっぱり、人間だもの。
いつも皆が生き生きしていて成果も上がって、そんな組織でいたいものです。
しかし多くの組織が、停滞感やなぜかやることなすことなかなかうまくいかない。
人に前に進む元気がないことに悩んでいます。
もちろんその組織の経営者やリーダーたちは何もしないわけではありません。
悩むということは、それほどにいろんなことを一生懸命に考えているのです。
まるで袋小路のはいったような感覚。
何をしたらこの状況から抜け出せるのか。
そんなときに一度試してほしいのが、これ。
「のびやか思考」。
「のびやか思考」?
聞きなれない言葉かもしれません。
でも一度この思考がなじんでくると、もうそれ以外で考えることの方が難しくなります。
あらゆることが生き生き感じられるからです。
今やっていることはいったんストップ
わたしたちはうまくいかない状況の時、さまざまな「やり方」や「方法」で何とかしようとしますが、たいていそれもうまく生きません。
組織作りのやり方やマネジメント法など、ちょっと書店を覗くだけでも、ありとあらゆる良さそうな方法があります。どれも説得力に満ちていて、効果もありそう。
様々な方法がきらびやかに見えますよね。
ついつい何冊も本を買っては、いつの間にか積読状態になるなんてこともよくあります。
でもそんな時には、「方法」や「やり方」を探すことをいったん止めてみてほしいのです。
自分自身の心の感覚をちょっと振り返ってみてください。
こんな心の感覚になっていませんか?
・焦ってしまって余裕なんて全然ない
・なんとかプラス思考をしようとしても、プラスにしなきゃという切迫感
・思い通りにならず、でも無理やりにもできず、がんじがらめの窮屈感、縛られ感
などなど
わたし自身も一人の人間。
さまざまなリーダーを務めても来ていますから、どん詰まりから抜け出そうともがくときの状況は痛いくらいにわかるつもりです。
このような心の感覚は、一言で言えば、
「心が縮んでいる」
と表現してもいいかと思います。
いったん立ち止まって心の感覚を確かめるとは、自分自身が今どんな状態にあるのかをいったん冷静に見つめてみようということなのです。
驚くくらいに今の状況は、心の状態が反映されています。
「心が縮んでいる」
その感覚で方法ややり方に取り組んでも、心の状態が方法ややり方にも反映されてしまって、かえって混乱させてしまうのです。
「現実は心の写し鏡」
ともよく言われますが、本当にその通りなんですね。
組織も状況も心も縮こまらせているものとは
ではなぜそんな状態になってしまうのでしょうか?
その出発点は、大元にある思考です。
思考は重要です。
わたしたちは自分が持つ思考にそって、判断したり行動したり言葉を使ったりしています。
心の状態も思考によって影響を受けています。
心が縮こまっている感覚の時、そうなってしまう思考をしていることがわかります。
・状況はしっかり管理されるべきだ
・この方法をみながやるべきだ
・プラスに考えるべきだ
・相手が変わるべきだ
・こう考えるべきだ
べき、べき、べき・・・
「べき」という強固な枠を何重にも当てはめてませんか?
当てはめた分、硬直化し縮こまっているのですね。
ベキとは言い換えれば、強固な固定観念。
「べき」にとらわれ過ぎると、現実もいつのまにか硬直化、縮こまりを生んでしまいます。
心の感覚も硬直化、縮こまりですから、苦しくてなりません。
だったら出発点となる思考そのものを変えていこうというわけです。
あなたはどちらを選びますか?
それが「のびやか思考」です。
「のびやか思考」は大きく言えばプラス思考といってもいい。
いわゆるプラス思考と異なるのは、心の感覚を大切にしている点です。
「のびやか思考」は、「ああ、のびやかなだなあ」と感じるように思考をすることです。
真っ青に晴れた空に太陽が輝いているのを見ると、「ああ、のびやかだなあ」と感じますよね。その太陽の光に照らされて、木々が枝葉を広げてキラキラ輝いている。のびやかですよね。
そんな、まるで自分自身が大空へ伸びていって大きく広がっていくような、そんな感覚を感じるように思考することがのびやか思考です。
のびやかなエネルギーを感じるための思考といってもいい。
たとえば、どっちのほうがのびやかなエネルギー感じますか?
「雨がふってじめじめしている」/「雨がふって植物がよみがえっている」
「渋滞だ、イライラするなあ」/「渋滞だ、ゆっくり考えごとしようかな」
「あの社員はいつも失敗ばかりしている」/「あの社員はいつもチャレンジしている」
「失注した、ああダメだ、終わりだ」/「失注した、残念、よし次だ、次頑張ろう」
きっと、後者の方にのびやかなエネルギーを感じるかと思います。
もうひとつ。
あなた自身についての言葉です。
どちらの方がのびやかに感じますか?
「わたしはできないやつだ」/「わたしは可能性がある人だ」
「わたしは停滞している人だ」/「わたしは前に進める人だ」
「わたしはいつも怖れる人だ」/「わたしはいつも乗り越える人だ」
「わたしは硬直化した人だ」/「わたしは柔軟な人だ」
「わたしは縮こまった小さい人だ」/「わたしはのびやかなひろやかな人だ」
やっぱり、後者ですよね。
そう、わたしたちは、生来のびやかな方を求めて生きる生き物なのです。
植物や木々は自然の中でそれぞれが自分らしくのびやかに生長していきます。
同じようにわたしたちも、のびやかに生きていく方が自然であり本来の姿。
「のびやか思考」とは、自然で本来の自分たち―いのち―が求めることにすなおになりましょうという志向なのです。
人はやっぱり可能性を発揮したいし、自分の力を伸ばしていきたいし、人からは認められたいし、仲良くしたいし、みんなで一つになりたい。
あまりにも自然。
あまりにも自然なので、ついついおろそかにしてしまいがちなのですね。
自分がのびやかに感じ、相手ものびやかに感じるように接したり、言葉をかけたり、やり方や方法を使ってみたりしたら、自然とやる気も能力も内側から湧きあがってきます。
「君は、いつもチャレンジしているね」
「君にはかならず素晴らしい可能性があるよ」
「君のあいさつはみんなが気持ちがよくなるね」
「大丈夫だよ、みんなでやっていこう。」
「いつでも君を応援しているよ」
のびやか思考は方針がとてもシンプル。
「あなたも相手ものびやかと感じるように考える、言葉を書ける、行動する。」
それに素直になるだけです。
心とともにある思考法
「のびやか思考」の大切なパートナーはあなたの心の感覚。
のびやかに感じるかどうかを指針にしましょう。
心がのびやかに感じたのであれば、OKのサイン・
もしどんなに正論でも、あなたの心がのびやかに感じなければ、何かがずれている証拠です。
のびやかでなければ客観的には正論でも、あなたにとっては間違い。
のびやかであれば客観的には疑問でも、あなたにとっては大正解です。
プラス思考はときには無理やり感が出て、かえって自分を苦しめてしまうこともあります。
無理やりなプラス思考は、心がのびやかさを感じません。
自分の中で、無理やり感や窮屈感を感じたら、いったんストップ。
のびやかさを感じられるまで、無理なくリラックスできる思考をしましょう。
100%プラスでなくてもいいのです。
1%でいいので、のびやかで自然に感じる思考をしていきましょう。
大切なのはプラスの中身よりも、あくまでもあなた自が自のびやかさを感じられるかどうか。
のびやかな心の感覚があなたの判断ナビ。
その高性能ナビに従って動いていけば、いつのまにか状況は好転していきます。
「のびやか」になる方を選ぼう
もうちょっとだけ補足をしますね。
思考と心の感覚を一致させるのがのびやか思考です。
これまでのプラス思考は思考の中身に偏りがちで、ともすると心が置き去りにされていました。
しかし「のびやか」という「心の感覚」をいれることで、思考と心が共同してはたらくようになります。
のびやか思考で物事を考えたり、言葉を出したりしはじめると、まずあなた自身が自然体で、ほがらかで、本来のあなたらしくなっていきます。そのエネルギーが、周りの人にも伝わり、同じように周りの人ものびやかになってきて、組織ものびやかになってきます。
のびやかな思考のときは気持ちがいいし、気持ちがいいときには自然とのびやかな思考をしているものです。
現代のわたしたちは、思考と心、論理と感情、人と他人、自然と社会など、分けて考えすぎてきました。
便宜上分けることは必要だとしても、本来はどちらも分けられないはずです。
それぞれがつながりながら全体として状況は生み出されています。
本来の姿からずれればずれるほど、本来の流れが妨げられぎくしゃくしていきます。
のびやかさは、わたしたちの本来の姿。
それにすなおになっていくとき、組織や人のエネルギーが自然に勢いがついて流れていくのです。
あなたの心の感覚を大切にした思考をしてみませんか?
方針はシンプル。
「のびやか」になる方を選ぶだけ。
「のびやか思考」はあなたの組織とあなたの人生を変えます。
みるみる状況が生き生きしていくことに驚きますよ。
こちらも役に立ちます(「勇気の書としての司馬遼太郎~二十一世紀に生きる君たちへ」)
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