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思考法/意識法

勇気の書としての司馬遼太郎~二十一世紀に生きる君たちへ

司馬遼太郎さんはわたしの青雲の書でした。

中年のいま、司馬さんの本は勇気の書であり、責任の書となっています。

「二十一世紀に生きる君たちへ」

歴史小説や評論を数多く残した司馬さんですが、この著作はこどもたちのために書かれました。

1987年に、小学校六年生の「国語教科書」向けに書かれた随筆です。

それをあらためて一般向けへと2001年4月10日に初版された本で、わたしは読みました。

2001年4月はわたしが新入社員として社会に旅立った年です。

目次

司馬遼太郎さんとわたし

司馬遼太郎さんは、ご存じ通り、国民的歴史作家です。
1923年(大正12年)に生まれ、1996年(平成8年)に死去されました。
今なお、書店の文庫コーナーには他の作家を圧倒するほどの司馬さんの書籍が並んでおり、映画化もしょっちゅうされています。
来年は長岡藩の河合継之助を主人公とした「峠」が映画化されるそうですね。

わたしが司馬さんの本を初めて読んだのは大学一年の時でした。
「竜馬がゆく」でしたが、一読して、もう没頭してしまいました。

大学時代はお金もないので図書館で借り、就職後は書店で見かけたら即購入を繰り返しました。文庫や単行本として公刊されているタイトルはほぼすべて読んでいるはずです。

今も読み返します。
じっくり読むこともありますが、あの司馬さん独特の文体を味わいたくて、ふと本棚を手に取って軽めに語っている評論や小小説などを読んで楽しむ機会の方が多いかもしれません。

司馬さんの文体は不思議なんですよね。

いつのまにか文章の世界に入り込んでいるかと思えば、その主人公やテーマが空から内から眺め渡されて、くっきりと目の前に現れてきます。豊富で意外な知識の切り口が次々に現れますから、読みおわったあとはいっぱしの歴史痛になった気持ちになります。

また司馬さんの歴史を見る目からは愛情を感じます。
「しゃあないな」と言いつつ、「ようがんばったな」という声が聞こえてきそうで、自分もいつか死ぬ、無名のひとりとしていずれ歴史に消えていくのだという哀しみさえ感じることがあります。

かといって文体全体は、ハードボイルドというか、キレがいいので読後にはさわやかな清涼感に満たされます。

わたしは2001年に、司馬遼太郎さんのお住まいで今は博物館にもなっている東大阪市の「司馬遼太郎記念館」に出かけました。
現代では住宅街になっていますが、

「そういえば、このあたりのことを司馬さんは随筆に、室町か江戸時代かに『八軒の家からはじまった』と書いていたなあ。」

なんて司馬さんの書き物と合わせながら周辺を散歩したことを覚えています。

司馬遼太郎さんの影響

司馬遼太郎さんが、国民的な作家になったのは高度経済成長期だと言います。
わたしは1977年生まれですから、それよりも10年以上前の話です。

たとえば「坂の上の雲」のようにこれから日本が興隆せんとする明治期と、敗戦後から高度経済成長期にあたる当時の日本が照らし合わされて、大いに共感や支持を得たと聞きます。

一方、司馬さん自身戦車隊の一将校として徴用された経験もあり、日露戦争以降の日本に対して強く批判的な視点が強く、「司馬史観」として良くも悪くも論議の対象にもなっています。

わたしは司馬さんに関するあれこれを学びつつ、今では「司馬史観」を批判する側の意見も納得できるところも多々ありますが、だからといって司馬さんが嫌いだということはありません。

わたしにとっては、やっぱり(もともと好きだった)歴史を、その面白さやダイナミズムを教えてくれたひとであり、お酒とともに文章世界そのものを味わわせてくれる人であり、いまなお「勇気」を与えてくれる人です。

司馬さんには、一生懸命に生きてきた人たちへの愛情を感じます。
だから、どうしようもないしゃあない細かい仕草や癖さえも、その人の美質として、おかしみとして、時代を変えた大いなることとして取り上げたりします。

ちょうど読んでいた「世に棲む日々」にこんなことが書いてありました。
吉田松陰の母親についての文章です。

「杉家の異様なばかりのあかるさは、どうやや彼女によるものらしい。彼女の息子の中から、松陰寅次郎という、底抜けにおさない(自己の思想や主義の純化と行動化のみに忠実な)人物が成長し、やがて国家と藩の大罪人になり、幕府の手で刑死した。これほど凄みのある不幸はなく、ふつうならこの不幸は家を暗くしただろう。が、彼女は、自分の内孫、つまり長男民治のこどもたちに、
「松陰叔父にあやかるのですよ」
とつねに言いくらした。

(中略)

聡明ということのみが本来容器の“たね”になりうるものであるということを、彼女ほど其の一身で具現した婦人はあるいはめずらしかったかもしれない。この婦人はながく生き、明治二十三年、八十四歳で没した。

どこでおぼえたのか、太鼓をたたくことがうまかった。

(中略)

このリズムの感覚は彼女の生活をもあかるくし、どうやら松陰寅次郎にも遺伝している。」

吉田松陰がなぜあの激動の時代、前へ前へ進むことができたのか。
その「秘密」がわかったような気にさせられます。

他の方の評論・批判はどうあれ、わたしにとってはこの「気にさせられる」ことが重要でした。
これまで仕事や人生でうまくいかないときも、あきらめそうなときも、自分がどうしようもなく思えるときも、このような歴史に生きてきた数多くのひとたちを思い出しながら、「よしもう一度」と立ち上がったものでした。

「二十一世紀に生きる君たちへ」

「二十一世紀に生きる君たちへ」はこどもたちのために書かれた本です。
歴史上の偉人から無名人まで、実にさまざまな人間を見てきた司馬さんが、こどもたちに「これだけは」と書き残した“遺書”のようなものです。

1986年に書かれましたこの本の中では「二十一世紀というものを見ることができないにちがいない」と述べています
そして、「君たちはちがう」と語り、「二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。」とわたしたちを励ましています。

コロナの状況から、本日、緊急事態宣言も開けました。もいろん、いつまたどうなるかはわかりません。

久しぶりに手に取った本には、この本に出合った以来、わたしの「勇気」になり、また事実二十一世紀を生きているわたしにとって次世代への「責任」を感じる言葉が書かれていました。

さまざまな問題がありますが、わたしはこの国が好きです。
日本に生まれて、こうやって生きていけていることに誇りを感じます。

もちろんこの感情は他の国に生まれていたとしたら、その国で同じように思っていたことでしょう。が、今世、ここに生まれ生きてきたからには、その一員としてできるかぎり後悔の無いように生きたいです。

司馬さんは必ずしも日本人へと限定して話されているわけではありませんが、上記、これからコロナ後に向けて心あらたにする、いまのわたしの感想として受け取ってください。

司馬さんは言います。

「鎌倉時代の武士たちは

「たのもしさ」

ということを、大切にしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは男女ともたのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

もういちどくり返そう。さきに私は自己を確立せよと言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくからである。そして“たのもしい君たち”になっていくのである。」

「二十一世紀に生きる君たちへ」は、読むとき読むときによってとらえ方が違います。
小学校六年生に向けて書かれていますが、「わたしの中にある小学校六年生」に語り掛けてくれているような気持ちです。

最も美しいものを見続けながら

「君たち。君たちはつねに晴れ上がった空のように、高々とした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上の事を書いた。」

毎日目先のことに追われるわたしたちです。
同時にわたしたちは、長い歴史の中のこの二十一世紀に生きるわたしたちです。


たまには、子どもむけの本もいいものですね。
わたしもまた今日から、空を高く見上げて、大地を踏みしてみ歩もうと思います。

執筆者紹介

オフィスオントロジー
代表 友成治由

人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家

10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるチェンジメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。

哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。

経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など

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