時代は変わった。東京オリンピックとドラクエと組織活性化。
セレモニーの続く画面を淡々と見ていましたが、ある場面が来たとたん、涙が目からあふれ出てしまいました。ドラクエです。このドラクエ音楽を9割語り、残り1割わたしたち自身の組織活性化にどう活かすか、わたしたちが「勇者」になるための話です。
目次
- ○ 東京オリンピックでドラクエが入場曲に!
- ○ 「時代」はドラクエを求めていた
- ○ 「音楽」そのものの世界を描かせる力
- ○ 「勇者」とは意思をもった存在
- ○ 組織活性化はあなたの勇気が伝播する
- ・執筆者紹介
東京オリンピックでドラクエが入場曲に!
東京オリンピック2020。1年延期された祭典は2021年7月23日に開会式を迎えました。
セレモニーの続く画面を淡々と見ていましたが、ある場面が来たとたん、涙が目からあふれ出てしまいました。
そう、ドラゴコンクエストの序曲:ロトのテーマが流れたときです。入場前のオーケストラの呼吸を合わせていく場面、ふとイントロを聞いたとき{これは…?!}と胸が騒ぎだしました。
指揮者の女性が高らかに両手を上げ、同時に画面にはオリンピック選手たちの雄姿が重ね映されます。そしえて、指揮棒を下した瞬間に流れた、あの音楽!
あの瞬間、選手たちがみな「勇者」になり、わたしたちもまた「勇者の一員」であることを思い出させてくれました。
少なくもわたしは、もうそう感じずにはいられませんでした。
それくらい鳥肌が立ってしまったのです。
Twitterでは、東京オリンピックを越えて、「ドラクエ」が世界トレンド1位になったそうですね。わたしもtwitterやFacebookをのぞいてみると、とにかく「ドラクエ」の嵐。わたしと同じ感想を抱いた人は、日本のみならず海外にもあふれていました。
入場局ではファイナルファンタジーやその他の有名ゲームの音楽が次々に使われました。
ニュースでは、日本が誇るゲーム文化やゲーム業界が認められたという論調が多くありました。わたしも子供のころにはゲーム恩恵を受けた、まさに「ファミコン世代」のひとりです。あらためて感謝申し上げます。
しかし、なぜ、わたしだけでなく大勢の人が涙が出るほどに、鳥肌が立ち興奮したのでしょうか。
あえて言うならば、幾多のゲーム音楽がありますが、この感動はやはり「ドラクエ」しかできなかった、と言いたいと思います。
ひとつには時代、ひとつには音楽、ひとつには勇者。
今日の話の90%はただ感動を伝えたいために筆を執ったのですが、残り10%は今日のような感動はぜひともわたしたちの、経営の日常に活かしてほしいと切に願ったからでもあります。
「時代」はドラクエを求めていた
初代ドラゴンクエストが発売されたのは1986年でした。
わたしはその当時9歳でした。
わたしの家庭は当時あるごく普通の一般家庭ですが、特にお小遣いがあるわけでもなく、子供が望めば買ってくれる家ではありませんでした。
ファミコンが家にやってきたときは小学校2年生。もう周りの家庭の大半は持っていて、その友達の家にいってプレイさせてもらいながら、うらやましく思っていた。
クリスマスプレゼントという習慣もとくにうちにはありませんでしたが、その年だけは特別でした。クリスマスプレゼントとして包みから出てきたのは、なんとあの「ファミリーコンピューター」です。大興奮で箱を開けてテレビにセットして、すぐにプレイを始めたこと場面、あの引っ越す前の公団住宅の家の様子はいまでも鮮明に思い出せます。
当時のファミコンのソフトは4900円前後だったと記憶しています。ネットで調べればすぐにわかるでしょうが、あえて記憶だけを頼りにすると、要は「高価なもの」でした。友達の買った少年ジャンプやファミコン雑誌を見ながら、新しいソフトの記事が出るとそれを読むだけでワクワクが止まりませんでした。
あるとき、友達の家に「ドラゴンクエスト」なるものがきました。
わたしの家のソフトは、たとえば「ギャラクシアン」や「キン肉マン」などの、シューティングやアクション系がいくつかあるだけでしたので、「ドラゴンクエスト」はそもそもどういう遊びをするものかもわかりませんでした。
友達がプレイしているのを横で見ているわけですが、主人公がひたすら歩いて、ときどきモンスターが出て消えていきます。大きな動きがあるわけではありません。はじめはよく面白さがわかりませんでした。
しかしそんな中でも、とにかく強烈に印象に残っていたのが、音楽でした。
今まで聞いたことのない音楽。当時のゲームとはまるで違う音楽。
ゲームが始まる時には勇壮な気持ちになり、フィールではものがしくも決意があふれる気持ちになる。ファミコンでそんな体験をしたのはその時が初めてだったのです。
わたしにとってドラクエとは、はじめから「音楽」だったのです。
その後わたしは、ドラクエⅡ、Ⅲ、Ⅳでドラクエにはまり、ドラクエⅢ全盛期には友達と棒切れや木の板などをもって「ドラクエごっこ」をやっていたくらいです。近所の公園や雑木林の小山はモンスターが現れるドラクエフィールドでした。
今でも覚えている光景があります。ドラクエⅢの音楽CDが出たとき、それを友達からかりてカセットテープに録音して聞いていました。わたしはドラクエ音楽に感動していましたので父に「これ聞いてみて」と無理やりに聞かせたのですが、音楽にはまったく興味のない父が「モーツァルトみたいやな」とつぶやいたことを思い出します。
わたしも当時を生きた多くの子供たちと同様、
「あのとき僕は勇者だった」
のです。
わたしは1977年生まれです。
その少し上の世代である団塊ジュニアは1971年~1974年生まれで、現在40代後半くらい世代なのですが、日本の人口ピラミッドにおける人口ボリュームが二番目に大きい世代です。毎年210万人以上生まれた、「大人口ボリュームゾーン」がこの世代です。
※ ちなみに人口最大世代は、団塊の世代。1947年~1949年生まれ。現在70歳前半くらいです。毎年250万人以上、最大269万人生まれました。ちなみに菅総理は1949年生まれ、団塊の世代になります。2020年の出生集が84万ですので、どれくらいこの両世代の人口ボリュームが大きいかがわかります。
団塊ジュニア世代はまさに「ファミコン世代」ど真ん中なわけです。
わたしたちの世代まで含めると、当時の学生~子供たちの大半はもうファミコン抜きで当時を語るのは難しいくらいです。
ドラクエⅢは380万本もうれたオバケソフトで、当時は社会現象になるほど行列ができてブームになりましたから、ドラクエから影響を受けた人がほとんどだといっても言い過ぎではないでしょう。
現在、社会の主力を担っているのはこの団塊ジュニアを中心とした前後の世代です。
演出をになった小林賢太郎氏も48歳。団塊ジュニア世代です。小林賢太郎氏は直前に解任されましたが、プログラム自体はほぼ変わっていないと側聞します。また周囲の演出のみなさまもやはり同世代が多いでしょうから、今回のオリンピックは団塊ジュニア前後の世代が演出したといってもいいでしょう。
この世代にとって、時代を代表する音楽とは何か。
世代の誰もが知っていて、その後に生まれた世代も知っていて、世界にも進出していた音楽と言えば、もう「ドラクエ」しかありえません。
申し訳ない。
わたしが演出してもドラクエのロトのテーマを使います。
数々の素晴らしい音楽やアーティストがいるのは知っていますし、今のわたしの普段はそれらの音楽を好むことも多いのですが、やっぱりわたしたちの世代がつくるならばドラクエをもってきます。
わたしたちは、ファミコンという時代をつくった製品が出てきたそのときに、一番ものごとを吸収する子供時代・学生時代を過ごしたのです。一番懐かしい時代のセピア色の思い出が、これでもかというくらいに詰まっているのです。
オリンピックが世界の祭典、普遍的な理念の祭典ですが、それをこの時代に日本でやる、それを社会の主力である世代が演出するという意味はどこにあるのか。そう考えるとやはりこの世代が生きた時代も、やはり極めて「日本」なのです。
今回のドラクエやゲーム音楽を使った演出は、「日本」が新しい時代になったことをあらためて象徴しています。ゲームやアニメやポップカルチャーはもちろんこれまでも世界では評価されてきましたが、戦後に生まれた団塊の世代の、さらにそこから生まれた団塊ジュニア世代以降が主力になった時代に明確に変わった瞬間ともいえるでしょう。
この話はそれより上の世代のみなさまにとっては不快な話かもしれません。
しかしみなさまたちが作った「ゲーム」(や、その基盤となる技術などとりまくシステム全部)が世代を育て、それが世界を代表するまでになりました。1964年の東京オリンピックが戦前に生まれた世代が作ったオリンピックというならば、今回の東京オリンピックは戦後生まれの日本が作ったオリンピックと言えるでしょう。
コロナ禍での開催、さまざまな諸問題がありながらの開催です。
後世の評価はどうなるのかはわたしにはわかりません。
ただ同時代を生きたものとして、わたしたちの少年期がいっぱい詰まっている「ドラクエ」
が選ばれたことには、同時代を生きたものとしての特別な想いがあった。
それだけも少しでも伝わってくれたらうれしいです。
「音楽」そのものの世界を描かせる力
繰り返しになりますが、やっぱり「ドラクエ」は音楽の印象は非常に強い。
作曲家のすぎやまこういちさんは、ファミコンの出る前、PC98などのパソコンゲーム時代からゲームに親しんでいたようで、当時出ていた「森田将棋」もよくやっていたようです。
その森田将棋の組み立てに疑問を感じ、すぎやまさんはエニックスにお手紙を寄せました。そこからエニックスとすぎやまさんの縁ができたそうです。
その後ドラクエをつくるにあたって音楽がどうにもよくないと社内で問題になった時、白羽の矢が立ったのがすぎやまさん。ドラクエを作曲することになりました。
ふたを開けてみれば、もう「これ!」しかない、大正解。
音楽でドラクエに魅かれた人の方が多いのではないか?(わたしのように)と思えるくらいのものが現れたのです。
わたしは音楽理論はド素人もド素人なので、以下個人的な印象論だけになりますがご容赦を。
やっぱり序曲:ロトのテーマ。
3秒聞いたら、勇者になります。
勇者が魔王を倒して世界を救うというファンタジーの世界観が、これほど一瞬でわかる音楽。パラレルワールドに行っても、ドラクエで流れているのはこの音楽ではないかと思っていまう。
ある番組で話しているのを聴きましたが、すぎやまさんがイメージしたのは、バレエだったそうです。場面が転換するたびに、その情景や世界観が伝わるようにとイメージされたそうです。
わたしの印象では「描くことのできる音楽」のように聞こえます。
それを聞くだけで、目の前に奥行きのある世界が実際に現れてくるのですね。
初代ドラクエが出た当時、まだゲームそのものの面白さが理解できなかったときでさえ、ロトのテーマは雄大で勇壮な情景を感じていましたし、フィールド曲には果てしない道を一人歩くようなものがなしい情景を見ていました。
その音楽を聴くと、自分が勇者になることができ、周りの日常の風景は冒険世界へと描き直されるのです、
今回の東京オリンピックは、あらためて言わずもがな、さまざまな状況が取り巻いています。
賛成か反対かはここではおいておきましょう。どちらであっても、楽天的には喜びきれない感情を重く抱えていたことでしょう。
理屈やデータは抜きにして、「なるほどこれが時代の空気というものか」と感じていたものです。
しかしロトのテーマが流れた瞬間に、多くの人がその重くるしく見えていた世界光景を描き直しました。
そうだ、ここにいる選手たちは勇者なのだと。
ここは勇者が集う場所であり、勇者の行進が始まるのだ。
そして、わたしたちも勇者であったのだ、と。
ドラクエの勇者は魔王が支配するという重苦しい世界に、それでもなお世界を取り戻すために立ち上がりました。はじめは力も弱く魔法も使えない無力な存在。でもそれでも、この世界をよくするために「勇気ひとつ」で立ちあがる。それが勇者であり、ロトのテーマなのです。
新しい世界をつくる出発の曲として、わたしたちの中にもっている「勇気」を奮い立たせ、わたしたちに見える世界を描き直すものとして、これほどふさわしい曲はありません。
わたしの贔屓目100%ですが、今回の入場曲として最高の選曲でした。
事実、今日の朝は、わたしも勇気にあふれて目が覚め今このブログを書いているのですが、きっとあなたも同じ気持ちではないでしょうか。
「勇者」とは意思をもった存在
そうわたしたちは、ひとりひとりが本来勇者なのです。
時代状況、時代の空気があれども、何とかこの状況を打破していきたい。
本来、よりよい人生、笑って前を向いていきたいと願い毎日を一生懸命過ごす勇者なのです。
言葉にならずのしかかる重苦しさの底流に、そんな現状を乗り越えたいという言葉にならない共通感情をみなが抱えていました。
また明るく遠慮なく笑いあう日常をつくりたい、でもそれを純粋に、おおっぴらには言えないできない葛藤。乗り越える勇気を。
ドラクエ、ロトのテーマは、そんな無意識の共通感情を表現してくれました。
「自分は本来勇者なんだ」
そう思い起こさせてくれました。
わたしたち人間は、脳の構造上、小さな差異にこそ注意が向いてしまうようにできています。
まっしろな紙を用意したとしても、ほんの一点、ごく小さな黒い染みがついているだけでそれが気になってしょうがない。そのようにできています。それは目の前の自己保存を重視する本能的な衝動です。
また論理というものも、論理学的に言っても、前提が違えばまるで違った論理を組み立てられるというじつに土台のあやふやなものです。
この両者があいまって、実は人間というものは、やろうと思えば「すべてのこと」に対して欠点、批判、粗を見つけ出すことができる存在です。
でもそれは「正しいから」「賢いから」ではないのですね。
脳の構造がそうなっているからであり、本能的な衝動なのです。
だからわたしたちが決してわすれてはいけないのは、真に未来を拓くならば、とにかく未来を切り開こうとする「意思」がまず必要だということです。
意思ありき。その後に論理を組み立てる。
見つけようと思えば欠点や粗しか見えないもののなかに、「それでも」未来を切り開こうとするのは「意思の力」です。その意思を前提として、論理なり知識なり知恵なり人間の持っている能力をフルに使っていくことで、はじめて新しい未来はつくられます。
不安や恐怖が先行するとひとはどうしても、本能的な衝動、つまり目の前の自己保存本能に無意識に振り回されてしまいます。それを前提としてものごとを考えてしまいます。もちろん、目の前の自己保存本能は生存するために必要な機能なのですが、それだけになってしまうと、中長期での未来はつくることはできないわけです。いつまでも同じところをぐるぐる回って、生存するために生存するという状態になってしまいます。
でもわたしたちは、生存するだけでなく、人生するものであるはずです。
人としての生をより充実させていく、そこにこそ意欲や希望やよろこびや楽しみを感じていく存在が人間です。
だから「意思」をもつことが大切になるのですが、やろうとおもえば×印だけをみつけられる現状の中、「それでも意思を持つ」ことは「勇気」なのですね。
意思とは勇気です。
今回のドラクエ、ロトのテーマは、本来私たちがもっている「勇気」を呼び起こしてくれました。
わたしもふくめ、知らず知らずのうちに、本能的な衝動で目の前の自己保存を前提にものごとを考えていた状況の中、「それでも」未来を開きたいといういのちのエネルギーのようなもの=勇気を思い出させてくれたのです。
「あのとき僕は勇者だった」
いえ、いまだってそうであるはずです。
わたしたちは、いやわたしは、また明るく遠慮なく笑いあう未来のために意思をもって進みたいと思います。
きっとあなたもそう思っていることでしょう。
組織活性化はあなたの勇気が伝播する
最後に、付けたしのようですが、今回のことは企業や組織の組織活性化にぜひ活かしたい出来事でした。
ドラクエ序曲:ロトのテーマは、その時代を生きた人たちの想いを背負っていました。
それは今の時代に立ち向かう光景を見せてくれ、勇気を思い起こさせてくれました。その勇気は本来わたしたちが持ちたいと願っているものであり、実際、だれもが持っているものです。
組織活性化というものが必要な状況は、多かれ少なかれ「あきらめ」「おそれ」「皮肉」など、いわば目先の自己保存本能に振り回されている状況だと言えます。
それを何とかするために、正しい方法を議論したり探したりするのですが、そもそも目先の自己保存本能を前提としていたら、その議論がどれだけもっともらしく正しく賢そうに見えても、未来に向かって状況を打破することはできません。
組織が不活性な状況を乗り越えるには、何よりも「組織を活性化させる」という「意思」を持つことが必要なのです。「あきらめ」「おそれ」「皮肉」が蔓延する中で、それを持つのは実にエネルギーが必要になります。孤独に苛まれることもあるでしょう。「それでも」意思をもつことからしか未来は変わりません。そのための「勇気」を持つこと。
でも勇気をもって意思をもちはじめてしばらくすると、気づくはずです。
実は、みな、本当は遠慮なく笑いあえる未来をつくりたかったのだと。その意思を持ちたかったのだと。
あなたの「勇気」はすぐに、他の人の「勇気」を呼び起こします。
勇気は伝播することによって、再び組織に活性化をもたらすことになります。
日常そのものが冒険の世界なのですね。
さまざまな困難がありながらも、「勇気ひとつ」を武器に、挑んでいく。
しかもその「勇気」は本来だれもがもっている。
願わくば、だれもが感動のエンディングを迎えますよう。
東京オリンピック2020。
応援しています。
P.S
これからもブログをお届けしますので
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執筆者紹介
オフィスオントロジー
代表 友成治由
人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家
10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。
哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。
経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など
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