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リーダーへ。社員の飛躍的自立力を引き出す「応援する」とは?

先日知人から、こう聞かれました。

「友成さんにとって、『応援する』ってどういうことですか?」と。

 

その知人も大勢の方を支援し、応援している方なのですが、最近さまざまな情報に接していて少し混乱してきた、と。

 

組織活性化や人材育成で、リーダーや上司、先輩にあたる立場の人は、「応援する」場面が数多くあることでしょう。最近だと社内メンター制度などもあります。

 

わたしの専門でもあるメンタリングの要諦と合わせて、いろいろ語ってみます。

目次

応援する人たちと出会った

もしわたしが死ぬときに「幸せな人生だった」と思い返す場面を挙げるとしたら、その大切なひとつに「応援する人たちと出会った」ことがあります。

人が人を応援する。
応援された人たちが、その応援を経て、夢を実現したり、また他の人のために奮闘したりする。

わたしは幸運なことに、そういった場面は人よりは多く経験させていただいています。

わたしがこのブログやその他発信することの裏には、自分自身が見聞きし経験して心震えた感動があるのですね。

しかし、「応援すること」について、わたし自身こんなに悩んだこともありません。
自分自身が疑わしくなって、応援、という言葉が言えなくなることもありました。

応援して、そっぽを向かれる

あなたは「応援」というと、どう考えますか?
もし組織内で「応援」という言葉がイメージしづらければ「支援」でも大丈夫です。

わたしは2012年に独立してオフィスオントロジーをはじめた直後、コンサルティングについてもあらためて学びました。
当時のわたしのイメージではコンサルティングとは、鋭い戦略や思考力でクライアントの問題をズバリ解決する、そんな仕事でした。
全般的には多くの人がイメージだと思うのですが、それは「一側面」しか現わせていないことに、しょっぱなからガツンと衝撃を受けたのです。

福島正伸さんという先生に教わったのですが、わたしのイメージするものとは全く違っていたのです。(よければ検索してみてください。)
コンサルティングの仕事とは、「人に●●を与えること」とおっしゃっていたのです。
このあまりにも、「拍子抜け」した言葉に、わたしはかえって混乱しました。

そんな、ふつうの事なのか?
ならば、コンサルティングって、何をする仕事なのか?

その後「ドリームプラン・プレゼンテーション世界大会」という、「夢」をもつ起業家、社会事業家、個人が「夢」のプレゼンテーションをすることで実現へ向かっていくという、プレゼン大会に関わることになりました。
わたしは「ドリーム・メンター」といって、半年に渡るプレゼンターのプレゼンづくりや事業計画づくりを応援、支援するメンターとしてかかわったのです。

「夢」ですから、「夢」です。
ぱっとそれだけ聞いたら、95%の人は「そんな現実味のないこと」「無理だよ、やめておきな」「ダサい」みたいなことばかりです。
でも本人は本気でそれを信じ、たしかによく聞くと

「それが、もし実現したら、ものすごいことだな」

と思わされてしまいます。

それを、「応援しよう」、というわけです。

これはわたしにとって、自分自身を問われる体験でした。
いわゆる、コンサルティング的な知識やスキルがまったく通用しないのです。

どういうことか。

第三者的として見れば、その夢にも事業計画にも欠点ばかりが見えます。
本人に実績もなく、経験もなく、思いしかない。

だから、良かれと思って、「応援」だと思っていうわけですね。
さまざまなアドバイスや改善法を。

するとどうなるか。

元気をなくし、やる気をなくしていくのです。

これは、まずい。

さらにいいアドバイスをしようと、言葉を重ねます。
そしてこちらもより強く教えます。
今度こそ聞いてくれるはずだ。
だってわたしはコンサルタント。

結果、そっぽを向かれ、夢はしぼみ、語らなくなり、もうあきらめてしまうのでした。



これが、応援なのか?
わたしは正しいことを言っていた。
でも、状況は悪くなっている。
わたしの何かが間違っていたのか。

わたしのそれからは、「応援する」について、悩み考え続けた10年でした。
失敗や後悔も重ねてきましたが、今でも「申し訳ない」と思う人もいます。

しかし、今多少なりとも語れるとしたら、今でも続く「ドリームプラン・プレゼンテーション」にドリームメンターや講師として呼んでいただけるくらいにはなっているとしたら、「応援する」についてつかんで実践してきたことが支持を受けているのでしょう。

悩むさまざまな「応援する」

わたしも起業家のひとりですから、起業家仲間も多くいますし、不特定の人が集まる交流会等にも数多く参加してきました。「応援するよ」という言葉もよく交わされます。

ドリームプラン・プレゼンテーションでも起業家同士でも、また普通の気の置けない交流でも、会社や組織の中でも、「応援する」という言葉の裏には、実にいろんな意味合いがあります。

実は冒頭の知人が、最近「応援」について揺らいでいたのは、「応援」に込める意味合いが人によってそれぞれ違っていたことにあらためて気づいたから、ということでした。

たとえば、

「応援する」とは、ただ声を出すだけじゃなく、実際にモノなりお金なりなんなり、行動で示すことだ、と言う人。

「応援する」と言っているその裏に、「だからわたしにも何かもたらしてね」というGIVE&TAKEのように捉えている人。

「応援する」とは、相手にきちんと指摘してあげられること。

他にもいろいろあるでしょう。
「応援する」と言う場合、自分はどう思ってどんな応援をするのが本当なのか? というわけです。

モノやお金や行動で示すと言っても、応援したい人が多くなると物理的な限界がありますよね。
GIVE&TAKE的な応援は、取引なのではないか? という疑問も付きまといます。
相手にきちんと指摘あげるといっても、相手がやる気を失ったら自己満足じゃないのか?

知人は「自分自身の応援」を模索していたのです。

その気持ちはよくわかります。
わたしも、同じように悩み考え続けたからです。


ここから先は、「一般的な応援の正解」ではないのかもしれません。

しかし、今のわたしが確信していることです。
また冷静にみると「メンタリング」で一丁目一番地に言われていたことでもあったのです。

「応援される」とどうなるのか?

わたしは、自分がいくら応援してるつもりでもわからなくなったので、「自分が応援されたとき」をひとつひとつ振り返りました。

わたしがとにもかくにも応援しているのは、自分が応援されてうれしかった経験があるからです。だから、自分がしてもらったことをあらためて思い出してみようと。

サラリーマン時代にも多くの失敗がありました。
お客様先とトラブルになり、進退窮まったとおもうときもありました。

起業してからも、事業大成功の10年ではありません。
お客様につまり、お金につまり、事業の方向性につまり、そんなことばかりです。
しかしそんな中でも、なんとかそのたびに立ち上がることができてきました。

ひとつには自分の夢や思いがあります。
人生に後悔したくない、やれるところまでやっていきたい。
そんなあきらめられないものです。

でもそれだけではどこかでくじけていたでしょう。
もうひとつは、「応援してくれる人」の存在でした。

モノやお金や仕事という実際の行動をいただいて助かったことも多くあります。
しかしもしそれだけだったら、立ち上がり切れなかったでしょう。
その行動の奥にあったものが、わたしを立ち上がらせてくれました。

強く感じ、強く感謝したのは、

「わたしを信じてくれた」

ことでした。

その時点だけ見れば、失敗者同然です。
失敗者同然ですから、

「こいつはダメなやつだ、デキないやつだ」

と烙印を押されてもしょうがありません。

しかし、「応援してくれた人」は、わたしのその時点の表面的なことを見たのではありませんでした。

「わたしそのものを信じてくれた。」

のです。

自分が自分をあきらめそうになったとき、自分以上に信じてくれる人がいる。
これが、どれだけ勇気になったことでしょうか。

たったひとりでも、自分を信じてくれる人がいれば、かならず立ち上がれる。

わたしの中の確信になったのです。

これを「わたしの応援にしよう」と。

「応援する」とは何か。

わたしは、知人に応えました。

「わたしにとっての応援とは、『信頼』である」と。

その人がどんな状態にあっても、もし、今行動で示すことができなくても、「応援するよ」の言葉には「あなたのことを信じている」という気持ちを込められることを。

その人はいますぐ立ち上がれないかもしれません。
何十年かかるのかもしれませんし。何十年かかっても同じなのかもしれません。

それでも「一生の」つもりで、どんなときでも「あなたのことを信じている」という気持ちを届けることはできます。

たったひとりでも、自分を信じてくれる人がいれば、かならず立ち上がれる。

これは、わたしの確信でありますが、もう世界の真実だ、くらいに思っています。

実は、冒頭教えられたのは、

「コンサルティング(応援、支援する人)の仕事とは、『人に勇気を与えること』」

でした。

それも、「信頼を通して、勇気を与えることだ」と。

言葉にするとさらっとしていますし、一見あたりまえのことだと感じてしまいます。
「これが、秘訣なの? もっと高度なことなんじゃないの?」一瞬そう思いましたが、今はこんなにシンプルだけど奥が深くて、これ以上のことはないと感じます。

とはいえ、

「そんなこといっても、裏切られたらどうするの? ダメなやつにはがつんと言わなければだめじゃないの? 本人のためにならないよ。」

そうおっしゃられる人もいるかもしれません。
そして、その言葉には率直にいって揺さぶられますし、「はい」とうなづきたくなる時もあります。

でも、そう思ってしまいそうなときは、「わたしのことを信じてくれた人がいた」ことに思いをはせ、もういちど「応援とは『信頼』である」を刻みなおすようにしています。

いつまでたっても、100%にはなり切れないかもしれません。
だから常に自分自身に問い続け、刻みなおしています。

だからもう少しだけ詳しく定義すると、こうなります。

「応援するとは、信頼を通して勇気をもたらすことである。」

そして

「応援するとは、応援する人の信頼する勇気である」

「応援」を考え抜くことで、信頼できる自分を信頼できるかどうかが応援の核だと気づきました。

信頼するのは、やっぱり怖い。
怖いけれども、それでも信頼するのかどうか。
そういった過程を経た「信頼」こそが、人に勇気を与えるのだと。

わたしを応援してくれる人たちも、「それでも信頼する」を自分自身に選んでくれた人たちでした。

わたしも、これからもそう在りたいと思います。

さいごに

リーダーや上司、先輩にある立場のかたへ。
とくに、後輩やまだ弱い立場のひとには、

「信頼しているよ」
「大丈夫だよ」
「君ならできる」

と言ってあげてください。

ただ目の前の人を信頼し、勇気の言葉をかけてあげるだけでいいのです。
それだけで、その人は自ら力を発揮し、成長していきます。
そしてそんな言葉をかけてくれた人を信頼し、強い絆を感じます。

わたしもまだまだ揺らぐ時がありますが、

そんなときは、

「応援するとは、応援する人の信頼する勇気である」

を思い出して、自分を見つめ直し続けます。

願わくば、あなたも一緒の仲間であらんことを。

そうなったら最幸にうれしいです。

執筆者紹介

オフィスオントロジー
代表 友成治由

人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家

10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるメンターメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。

哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。

経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など

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