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人材育成/人材開発

社員の主体性を高く引き出すメンターとメンタリングの方法と秘訣

「もっと若手社員たちに積極的になってもらいたい」

「管理職や若手リーダーに、人を育てる、をやってもらいたい」

「もっと社員みんなが活気あふれる会社にしたい」

 

経営者の多くが、人や組織の問題で悩んでらっしやいます。

 

会社は人で成り立っていますから、人が元気で、主体的で、相互協力的でなければ、どんな会社でも生産性は落ち続けます。

 

もっといえば、社員たちが他人事ばかりで、与えられたことしかせず、自分の業務や楽することしか考えず、周りにも協力せずに、雰囲気も冷たくどんよりして事なかれ主義。そうでありながら、「会社ってこんなもんだよ」と半ばあきらめている。

 

極端かもれませんが、いくつか思い当たる節もある人は多いのではないのでしょうか。

そんな状況を打破したい、そのためにはどうするのか?

切実な問題です。

 

今回は、人と組織の関係をよりスムーズにしながら、個々人のやる気を生み出し、結果として会社の生産性や成長に貢献する人たちを生み出す。

そんな、大切な手法についてみていきます。

 

それをメンタリングと呼びます。

メンタリングをする人のことをメンターと呼びます。

(メンターという言葉はよく聞かれるようになりましたよね。)

 

今回は主に経営視点にたって、まずメンタリングでできることとは何か。

そのうえで、より「全員で会社を伸ばすような意欲をもつ」にはどうすればいいのかまで見ていきましょう。

目次

メンタリングが求められている背景

現代は非常に不安定な時代を迎えていると言えます。

大きく眺めれば、政治や社会情勢、経済情勢など今後どう展開していくのか。
専門家でもその予想に四苦八苦の状況です。

働けば必ず上向き、ずっと安定して生きていけるという前提は、ほぼ信じられていません。
とくに若い人たち(といっても、バブル崩壊に社会人になった40代以下の人たち)は、そうでしょう。

コンプライアンス、多様化、年金、SDGs、働き方改革、絶え間ない効率化、ハラスメント対策、最新テクノロジー、…
かつ、もちろん会社の成績はしっかり上げなければならない。

もちろん、ひとつひとつは大切なことばかりです。

ただ働く側の本音として「求められるばかりで、息苦しい」と感じる人は多くなっているのも事実です。
本音ベースで「何を頼ればいいかわからない時代」に、必死になんとか生きようとしているのが働く人たちだと言えます。

経営者ももちろん、今の変化、変動の時代にどう対応しながら、収益をつくりつつ社員を守っていくのかに心を悩ませています。
にもかかわらず、社員はそんな苦労をわかろうともせずに自分のことばかり…

離職率増加、定着率低下、そもそも「働くこと」へのエンゲージメント低下、メンタルへの不調を訴える社員の増加…

上も下も不安定な時代に、人と組織はどういう関係を結んでいけばいいのか。

本稿ですべて解決できるとは言えませんが、少なくとも、会社という組織でどんな人間関係を結んでいけばいいのか。どうすれば、経営者も社員も、イキイキとしながら信頼関係をもって、一緒にこの時代を乗り切っていけるのか。

その指針となるのが、メンタリングです。

主体的にならない社員たちへの悩み

経営者にとって、社員が主体的でない、全体のために貢献しようと頭と心を働かせないことはものすごいストレスではないでしょうか。

言われたことしかしないやろうとしない、自分で考えて動かない。
自分の都合ばかりで、全体のために少しでも労力を割くのを嫌がる。
他人事で、事なかれで、率先してチャレンジし、成長しようと気持ちが見えない。

こういった悩みをよくお聞きします。

ひとりひとりの社員は「人としてはいいやつ」なのですが、いざ仕事となると主体性や積極性が薄くて、当事者意識が低くてしょうがない。
すこしは経営の苦労もわかってくれ。
だからと言って、何度も言ったり強く言ったりすると、社員の心が離れていきますから気を使わざるを得ない。

そこにどうしても不満があります。

個人的な不満だけならまだしも、社員一人一人がそのような状態だと、お客様にも迷惑がかかりますし、社員をしっかり守れるほどの収益も作れなくなる。
近い将来のこの会社を思い浮かべると不安でしょうがない。

そういった危機感が根底にあります。

中小企業ならばこの危機感は経営者直結ですし、大企業や中堅企業の中でもひとつひとつの部署単位で見ても、この状況をなんとかしたいとさまざまな施策を試みています。

よくある取り組みがうまくいかない理由

社員を主体的に育てる、当事者意識や協力意識を持たせることについては、さまざまな人材育成、マネジメントの課題でした。

しかし多くの場合、「これではなかなかうまくいかないだろうな」とことが多くあります。
一般的に普及はしているものの、今ではあまりうまくいかず限界が見えている取り組みを見てまいりましょう。

① 上意下達方式のマネジメント、人材育成

上意下達とは、上の意向を下に伝えて従わせる、という意味です。
上司から部下に指示して動くようにする、そんなマネジメントです。
人材育成の側面でいえば、上司が正しいといったことを、部下がそれを身につけるという方法です。

この場合、上司とは指示する人であり、部下は指示を実行する人という役割になります。
ごく一般的に思われている上司と部下の関係ですね。

最初に申し上げておくと、この方式は悪いわけではなく今でも有効です。
人間が組織をつくって生きてくならば、これからもずっと必要な方法でしょう。

組織には目的があります、その目的達成のためには、ひとりひとり役割分担をして生産的に動いていく必要がありますが、それを全体的に俯瞰的に見渡して指示する役割も必要です。上司やリーダーとは、そんな役割を担っている人であり、上手に上意下達方式を使える人は、上手に全員の力を最適に使いながら、目的を達成することができます。

しかしこの方法がさまざまな問題を引き起こしているのも事実です。
よく話題に出るのが、パワーハラスメントなど、立場の強弱を利用して圧迫・強制することによってメンタル面に不調をもたらしてしまうことが挙げられます。
上司が部下に気を使いすぎてしっかり指導もできないという問題も出てきています。

実は上意下達方式がうまく機能するためには、条件が3つあるのですね。

それは、第一に目的があること、第二にその目的に誰もが納得していること、第三にその目的の実現が誰にとっても必要であると共有されていること、です。

昭和の時代は、それがすべて当てはまっていました。

第一に、経済的に豊かになるという目的がありました。
第二に、その目的は当時の人々が誰もが納得できる目的でした。
第三に、その目的実現は誰にとっても必要でした。みな豊かになりたかったのですから。

だから、サラリーマンはつらいよ、と言いながらも、同じ目的のために組織の一員として頑張ることができたわけです。

しかし現代ではこの3条件が成り立たないケースの方が増えてきました。
そもそも、何を求めて働いているのかがわからない、見えない。
経営者と社員の間の目的が違う、社員同士でも目的が違う。
だから、社長が掲げた目的であっても、自分がそれを必死になって実現する必要性がわからない。

価値観の多様化の時代、とは言葉は美しいですが、要は「向いている方向がバラバラ」な時代なわけです。
そんな状況の中、一方的な上意下達方式では、反発や問題を生むのは当然であるともいえます。

そもそも、上意下達方式が機能する3条件が意識されていないので、3条件を意識しなおすことから始める方がいいのでしょう。

上意下達方式は、たしかに今後も有効ではありますが、それにはしっかりと3条件を整える必要があります。

そしてその3条件を生み出すものが、メンタリングの大きな役割なのです。

② アメとムチのマネジメント、人材育成

アメとムチのマネジメントや人材育成、これもよくあります。
よくできればアメ(賞)を与え、できなればムチ(罰)を与えるものですね。
賞罰で人を動かす方式です。

会社でいえば、成果主義がわかりやすい例になりますね。

賞罰方式も、必ずしも悪いとも言えず、“使う場面と使い方”をしっかり意識して使えば、人間のモチベーションを大いに上げるものになります。

しかし意識しないまま、単純に使ってしまうと、上意下達方式よりも副作用がひどいものになってしまいますのでご注意ください。

とくに今回見ている課題は、「社員がどうしたら主体的になるか?」でした。
とても考えさせられる実験があります。
心理学者リチャード・E・スペニックなどの実験です。

幼稚園児たちに、ペンを使ってお絵かきをして遊んでもらいました。
その際、幼稚園児を3つのグループに分けたのです。

一つ目のグループは、「上手に絵を描いたらご褒美をあげる」と伝えておき、描いたらご褒美をあげたグループ

二つ目のグループは、はじめは何もいわずに絵を描いてもらい、終わったらご褒美をあげたグループ。

三つ目のグループには、最後まで何も言いませんでした。

その結果一つ目のグループは、二つ目三つ目のグループよりもより長時間わたって、絵を描いて遊んでいました。

これだけですと、「やっぱりご褒美って大切だな」と思われるかもしれませんが、驚くのはこの後です。

数週間後、もう一度、同じ幼稚園児たちに同じグループになってもらい、同じくペンを使ってお絵描きをして遊んでもらいました。
ただしその時には、どのグループにも何もご褒美のことを伝えませんでした。

そうすると、二つ目と三つ目のグループは前回と変わらず絵を描いて遊んだのですが、一つ目のグループ、つまり「上手に絵を描けたらご褒美を上げるよと」伝えていたグループは、まるでお絵描きに興味を示さなくなってしまったのです。

何が起こったのでしょうか?
ここに賞罰制度が引き起こす「もっとひどくなる問題」が潜んでいるのです。

二つ目、三つ目のグループがお絵描きをしたのは、「お絵描きが楽しいから」でした。
しかし、一つ目のグループは「ご褒美」をちらつかせたことにより、「ご褒美が欲しいから」お絵描きをするようになったのです。
お絵描きの目的が、お絵描き自体からご褒美へとすり替わってしまっていました。

人が自分からモチベーションを出すことを「内発的動機づけ」と言います。
「内発的動機づけ」がある人が、すなわち主体的な人であり、みずから考えみずから動く社員たちです。

しかし「ご褒美」は、その内発的動機づけを奪ってしまいました。
自分ではなく、「ご褒美」という外にあるものを基準として物事を判断するようになりました。
これを「外発的動機付け」というのですが、要は、ご褒美があれば動くし、なければ動かない。逆の面では、罰があれば動くし、なければ動かない。
そのように、賞罰に依存するマインドへなってしまうのですね。

賞罰制度や成果主義というのは、「でき続ける人」にとっては大いにモチベーションがわくものです。でき続ける限り、賞=お金や評価は増えていくのですからうれしくたまりません。

しかし、「できなかった人」「でたけどつまづいた人」にとっては、その瞬間、賞=お金や評価が一気に失われます。それが一瞬の出来事だとわかっていれば、また賞を得るために奮闘もするでしょうが、迷い道に入った瞬間、奮闘するのではなく「行動をやめて」しまうのです。

賞罰だけが自分のモチベーション基準だったわけですから、その基準に達せないとおもった瞬間、そもそもの行動するモチベーション自体がなくなります。

そしていったん外発的動機づけになってしまうと、それは人間の本能的な心理にもとづいているため、賞罰のない内発的動機づけに向かわせることは非常に困難です。


賞罰方式や成果主義も、やはりそれが機能するためには条件があるのですね。

第一に、離職率が高くなることを受け入れる。
第二に、失敗しても“必ず”チャンスがあり、それをサポートしている
第三に、賞をやるなら、サプライズで。

第一の条件とは、たとえ賞のためであって成果を出し続けられる人を集め続けるということです。逆にいえば、成果を出さない人はあっさり辞めても構わないという組織ですね。

こう書くとマイナスのように聞こえますが、はじめて間もないベンチャーなどとにかく目に見える成果こそが重要である組織や、そもそも定着率が高くなりづらい分、成果主義を強めることで人材の流動性を高める業種や組織などは、この方式はうまく適合します。

入ってくる人材も「一旗揚げてやろう」という人たちばかりですので、風土的にも肌が合うことになります。

しかしより長期的な営業、技術、顧客信頼関係などが必要であったり、ひとりひとりの社員の中長期的な成長こそが会社を支えるという価値観で経営されている場合には、この賞罰方式をメインにするのはまず合いません。

内発的動機づけがどうしたらできるのか?
それをしっかりと追及していく方がよいと言えます。

第二の条件とは、賞罰が強めにあったとしても、失敗によって「あなたはダメだ」という烙印を押すのではなく、失敗は当然であるという文化、サポートがあることです。

要は「希望を失わせない」こと。

会社組織は、金銭を介した契約ですので、賞罰制度が皆無という会社はほぼないかもしれません。ならば、失敗してもいい、という風土づくりは非常に重要です。

人間はお金を失うことよりも、身近な他者からの尊厳を失う方がもっとつらい存在です。
失敗することよりも、「失敗者と思われる」ことの方がつらい、つまりそれが罰なのです。

だから、失敗した人をダメ、できないやつにするのではなく、「チャレンジャー」、「成長している人」と認め、たたえる文化づくり、サポートづくりは非常に重要です。

そうすることによって、社員は行動する気力を失うことなく、また次の賞へむかって奮起することができます。

三つ目の条件は、賞をやるならサプライズで。
幼稚園児たちの実験でもわかるように、賞をやること自体ではなく、賞をエサに行動させることがよくない結果を生みやすいのです。

三つ目のこの条件とは賞をエサにするのではなく、賞を特別な時の感謝やねぎらいにする、ということですね。

「みんなよく頑張ってくれていつもありがとう」

人は期待していない時に思いがけず感謝されたり、ねぎらったりしてもらうと本当にうれしいものです。

そこでもらう賞=お金や評価は、文字通りお金や評価ではなく、感謝はねぎらいとして受け取ることができます。


条件の2つ目、3つめはそういった意味で、外発的なものになりがちなお金や評価を、いかに人間的つながりのあるもの、社員にとって人間として認められていることにしていくかという取り組みでもあるのです。

③ “こうるさい”マネジメント、人材育成

何度も言う、強く言う。

これはついついよくやりますよね。
でも、これをやってうまくいった試しをほとんど聞いたことがないから不思議ですが、でもやってしまうのがわたしたち…

やってしまうのは、理由はひとつといえます。

「自分のため」

自分の不満やストレスを相手にぶつけているのなんですね。

「何度も強く言えば動くだろう」があるわけですが、言われる方としては「何度も言われたくない、強く言われたくない。だからやる」という「罰感」をもって受け止めることになります。

原理としては賞罰方式と変わらないんですね。

他人から何度も言われたくない、という「外発的動機付け」がモチベーションです。
ということは、「何も言われなければ動かない」ことにも直結し、益々主体性は失われていくことになります。

人間がもっとも嫌がること、つらいことは「やらされ感」です。

自分の意志に反して、自分の合意していないことに関して、強制的に何かをやらされること。これがもっともつらく、いやで、反発を覚えてしまいます。


だから、

「何度も言う、強く言う。」

これが唯一うまくいくのは、「相手が求めることに対して、相手のために、本気で言う」ときに尽きます。

心からある目的を実現したい社員がいる。
それはその社員自身もわかっているし、わたしたちもわかっている。
でも、今ちょっとした挫折があって立ち止まって、愚痴って、くさっている。

そんなときに、心から相手のためを、相手の人生を思って言う時のみ、伝わります。
愛として伝わります。

テクニックの問題ではありませんから、第一にわたしたちの側に愛と覚悟をもつことが何よりも大切になってきます。

ですから、

「何度も言う、強く言う。」

は、ここぞという時のために取っておいてくださいね。
まずはそのまえに、言わなくても主体的に意欲的になる社員育成に注力しましょう。

④ よくやることがうまくいかない理由まとめ

これまで3つのよくやることを見てきました。

① 上意下達方式マネジメント、人材育成
② アメとムチ方式マネジメント、人材育成
③ 何度も言う、強く言う

これらがダメな方向に進むときに共通するのは、「みずから考え動く主体的な社員」といいつも、実際は、「外発的動機付け」で、外から社員を動かそうとしているからでした。


人間にとって一番嫌で、つらく、反発してしまうのは、「やらされ感」。
「やらされ感」が普通になってしまうと、無価値観、無意味感、あきらめを感じるようになります。

そうすると、「言われたことしかやらない」「無難なことしからやない」「自分のことしかやらないなど」の諸問題が現れてきます。

結果、士気の低下や社内のどんより停滞感、離職率の臓器あ、個人やチームの生産性や売上の減少といったもので、経営にまで大きく影響してきます。

この不安定な時代であり、多様化した時代であり、目的の見えづらい時代だからこそ、その根底にある「人」の本来求めているものに着目する必要性があります。

つまり、その社員自身の心から湧き出る「内発的動機づけ」を起こすような、ひとりに人間としていかに接し、関係を結び、意欲を引き出すのかが求めれています。

そしてそんな、個人と人間関係育成、人材成長育成の手法として開発されてきたのが、メンタリングです。

メンタリングとは何か?

メンタリングとは、人材育成の手法であり信頼関係構築の手法です。

メンタリングとは、一般的には、経験者(先輩や上司など)が相手に対して相談や助言を通して支援を行うことです。指導や指示ではなく、相手がみずから考え、気づき、行動する意欲がわくように親身になって接する双方向の対話型コミュニケーションです。

これまでの会社論、組織論におけるコミュニケーションは、役職間や立場間での意思疎通を中心としていましたが、その限界も見えてきた現代、人間同士が支援し支援されるコミュニケーションとして重要性が増してきています。

メンタリングを行う人をメンターと呼び、かいつまんでいえば「よき相談者、よき助言者」と言えるでしょう。

メンタリングの歴史

メンター、メンタリングの語源は、古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」に登場する「メントール」という老賢人から来ています。

トロイ戦争に出かけ、その語漂流して長年帰還できなかったオデュッセウスに変わり、その子供を立派な一人前に育てあげたことから、よき教育者でありロールモデル(見本)として描かれています。

そんなメンターのコミュニケーションや行動を、メンタリングといいます。

現代メンタリングは、1970年代のアメリカで研究がはじまりました。
現代に続く産業構造の変化の中で、本来ならば安定した人生を送るはずだった人たちのキャリアをいかに支援するという問題意識がありました。

さらに1980年代、やはり現代に続くさまざまな起業家を輩出したのですが、自発的に問題を乗り越え価値を生み出していく起業家をいかに育て、輩出していくか。
やはり変動の時代の人材育成、人材支援として研究、実践が深められてきました。

メンタリングやメンターの存在は、先の見えない変化・変動の時代における人とのコミュニケーションや支援の在り方として重要視されてきたのです。

現代日本でもその動向は同じで、とくに会社組織の在り方が揺らいでいる現代日本では、メンターやメンタリングは多くの企業で取り入れられはじめ、2012年には厚生労働省における「女性活躍推進のためのメンター制度」の提唱や、2019年には人事院において、行政においての「メンター制度の手引き」の発行など、国を挙げてメンターやメンタリングの重要性がうたわれてきています。

メンタリングを「制度」として、新入社員や若手社員育成のために取り入れる企業も大企業だと、類似したものも含めて50%を超えると言われています。

(写真は、HRPROサイトより)

メンタリングの効果

メンタリングをする「よき相談者、助言者」のことを「メンター」と呼び、メンタリングされる人の方を「メンティー」と呼びます。

メンターがメンティーに、人間としてのコミュニケーションで相談にのったり、助言したりすることで、メンティーは安心感や信頼感を感じ、みずから気づき、考え、前向きに行動できるようになります。

メンター制度として導入する企業では、直属の上司以外の上司や先輩がメンターとなることで(斜めの関係)、部署の利害とは別の人選全般・仕事全般の観点から、新入社員や若手社員に対して、よりよき相談や助言を行ったりしています。

メンター制度をうまく運用できている会社においては、目覚ましい効果がでています。
(グラフは、上記厚生労働省「メンター制度・ロールモデル普及マニュアル」より)
メンティー(親友社員や若手社員)のモチベーション向上だけでなく、メンター(上司や先輩)側の人材育成意識の向上など、双方向によい影響をもたらしています。

実際、定着率の向上や、部をまたいだ組織活性化、新入社員や若手社員の視野拡大やリーダーシップ発揮など、「主体的で協力的な人材」が生み出されていることは間違いありません。

日本においては、政府の動きや制度に敏感な大手外資系や大手企業からはじまりましたが、本来、人と人との関係がより親愛と信頼に満ちてないといけない中堅、中小企業こそメンターやメンタリングの効果は高いと言えますし、わたし自身経験上そう感じています。

メンター制度は意味がないという意見も?

そんなメンタリングですが、ではメンター制度を導入すればすべてうまくいくかと言えば、そうとも言えないケースも出てきています。

HRPRO調査によると、メンター制度を取り入れたもののやめた企業も見受けられます。
その理由としてフリーアンケートで記載されているのが、

・メンターの異動や退職によるメンティーのモチベーション低下。(サービス/1001名以上)
・メンターの育成能力により、立ち上がりのばらつきがある。(サービス/1001名以上)
・メンターに負担が大きい事。(メーカー/1001名以上)
・メンターの人材がいない。(メーカー/1001名以上)
・メンターの質量の確保。(メーカー/1001名以上)
・要員不足(商社・流通/1001名以上)
・個人間の相性とメンターに起用する人材不足。(サービス/301~1000名)
・メンターの負担を吸収する体制が確立されていない。(情報・通信/301~1000名)
・メンターに適する人材が少ない。(メーカー/300名以下)
・メンターの質によって効果が著しく変わる。(マスコミ・コンサル/300名以下)
(HRPRO より)


などになります。

たしかにメンターは部の利害を超えた相談者、助言者で、いわゆる本来の業務とは異なる時間を使います。

またメンターは、一定の知識とスキルを身に着ければ終わりではなく、そのマインドセットや姿勢が大きな意味を持ちますので、メンター意識の高い人低い人の間に差ができやすいとも言えます。それによってメンティーへの影響も良くも悪くも現れてくるというわけですね。

メンタリングやメンター制度は確かに効果がある。
しかし、メンターを育て運用し続けるにはハードルがあるというところでしょう。

メンター制度の作り方、運用の仕方についてはここでは詳細は控えます。
(気になる方は、厚生労働省などの資料が参考になります。)

ここで、わたしの経験上いえるのは、「メンター制度」を単なるマネジメントや育成手法の制度として取り入れると失敗する、です。

メンターやメンタリングとは、単なるスキルや制度だけの手法ではありません。
それは、人間としての意欲やあり方を大切にした、人としてのコミュニケーションであり育成手法です。
つまり経営として、どんな会社にしたいのかが根底にあります。

たとえば、上意下達方式や賞罰方式メインで、何度も言う強く言うことは当然だという風土の中、メンターやメンタリングをただの相談や面談手法のように取り入れてしまうと、それは社員の負担はものすごいものになるでしょう。

そもそも「メンタリング」を本来の業務ではないと位置付けられてしまうと、社員はメンタリングをやろうという気にはなりません。

メンタリングはこの会社の人を育て会社を育てるための重要な業務である。だからこそ、メンターをしっかり育て、メンタリングを浸透させることは重要課題であるという認識がなければ、メンター制度は根付きません。

メンタリングやメンターの存在は、確かに効果があります。「制度」にするかどうかは別にしても、学び身に着けていくことは会社にとってよき影響の方が多いことは間違いありません。

ですので、上記のような「うまくいかないケース」を念頭に、自社の場合はどういうスタンスで取り組むのかを、事前にしっかり決めておくことが大切です。

メンタリングの限界

さてそのような「一般的な」メンタリングですが、そこには限界があります。

そしてその限界には、メンタリングに対する「過小評価」があるのです。

これまで見てきたように、メンタリングは主に上司や先輩がメンターとなって、部の利害とは別の観点から「よき相談者、よき助言者」になることでした。具体的には、面談など対話を通してコミュニケーションを行います。

それにより安心感や信頼感をもってもらって、メンティを前向きに送り出すことが目的になっております。

多くのメンター研修などの主張を見ていると、それができれば良し、されていています。
わたしも、まずは土台づくりとして、その方向は自然だと感じています。

しかしそのようなメンタリングで、人の可能性や創造性は発揮されるのか? 会社全体が一つになり、全員で会社を良くしようという気持ちまで起こすことができるのか? そこには疑問があります。

ではメンタリングがダメなのかというと、話は逆です。

「もっと可能性を秘めている」

です。

実際、メントールはオデュッセウスの子を、「立派な一人前」に育て上げたわけです。
もちろんこれは古典上のお話ですが、それでもこの古典が言わんとしている人材育成の目指すレベルはわかります。

1980年代のアメリカの起業家育成におけるメンタリングでも、不確実なリスクを背負って新しい価値を生み出そうとする人を育てるのは並大抵のことではありません。
そこには、困難を乗り越えて、自らの可能性に挑戦し、仲間と真の信頼関係を結んでいけるようになることが重要です。
(このあたりの感覚は、経営者ほどおわかりいただけるのではないでしょうか。)

メンタリングは、人が人に対するコミュニケーションです。
ということは、人がどれだけ可能性や創造性を信じるかによって、お互いが得るレベルも高くなっていきます。

メンタリングには大きく3つのレベルがあります。
レベルが深くなるほど、成長のレベルも高く深くなります。

メンタリングの3つのレベル

メンタリングの3つのレベルを意識することで、メンティの成長はもちろん、メンターのメンタリング力も成長し飛躍することとなるでしょう。

それにより、ただ自分で考えて動く、だけでなく、主体的に創造的に挑戦し、仲間と信頼関係を結びながら相互に支援しあう関係を結べるようになります。

会社を伸ばすメンタリングは、この3つのレベルを生き知ることがキーポイントです。

第一レベル 働くことへの不安の解消

第一レベルは、この職場で働くことに対する不安を解消してあげるメンタリングです。

どういうふうにふるまえばいいのだろう?
どんなことを学び、身に着ければいいのだろう?
どういった人間関係を結べばいいのだろう?

働くにあたっての不安は若い社員ほど持っています。
その不安に親身になって寄り添い、解消してあげるのが最初の段階です。

そして、これが一般的なメンタリングの段階なのですね。
ここで先に働く先達として必要な心構えやふるまいを教えてあげる。
不安が解消すると人は動けるようになりますので、大切な段階です。

これができると「よき相談者、よき助言者」として、メンターとして信頼されるようになります。

ただし、ここはまだ現状をどうするかという段階。
現状を不安のないようにしたうえで、未来へ向かってもらえることこそメンターの真骨頂です。

第二レベル 意味をもって未来へ向かう

第二レベルは、メンティに「仕事の意味」に気づいてもらい、未来への意志をもってもらう段階です。

メンティはただ上手に仕事をこなすだけの人ではありません。
「未来をつくる人」です。

今の仕事は、これまでの先人が作ってきた仕事です。
しかし未来の仕事は、今のメンティたちが作り、生み出さなければなりません。

そのためにも「仕事の意味」を自分から考え、「仕事の意味」を信じているからこそみずからやる。そんな強い内発的動機付けを引き出すのが、この第二レベルです。

多くの人は、不安の解消後も現状の範囲でとどまろうとします。
それもひとつの在り方ですが、未来を作るともっと面白いよ、そう思わせてくれるのがこのレベルのメンターなのです。
第二レベルはそういった意味で、「夢を抱かせるメンター」と言えるでしょう。

第三レベル どんな困難をも乗り越える

第三レベルのメンターは、人生のメンターと言えます。

仕事に意味を感じ、夢をもってチャレンジしようとすると、まず壁にあたります。
知識、経験、スキル、人間関係、人格的深みなどなど、未来をつくろうとすればするほど壁は高く厚くなるでしょう。そして10回のうち9回は失敗します。

でも、それでもなお、自らの知恵と努力と思いで切り開き、仲間を見つけ、真の信頼関係を結びながら乗り越えられる人間を育てる。

これが第三レベルのメンターです。

人生に、たとえひとりでも

「あの人が支えてくれたからこそ、今のわたしがある」

と言えることは幸せです。
自分の可能性を心から信じ、励まし、応援してくれた存在。

人は、自分を心から信じてくれる人がたった一人いるだけで、どんな困難でも乗り越えることができます。

第三レベルのメンターは

「人に生きる勇気を与えるメンター」

です。

もし会社に、そんなメンターがひとりで多くいたらどうでしょうか?
チームの心はひとつになり生産性ははるかに上がります。
若手社員は彼らの背中を見て育ち、次のメンターとしてどんどん育っていきます。

メンタリングは、あなたの会社を一変する可能性を持っています。

メンタリングを成功させるためのメンタリングのゴールとは?

一般的なメンタリングのゴールは、実はそれほど明確に示させているわけではありません。
「よき相談者、よき助言者になること」とはあっても、その結果どうしたいのか?まで言及されているとは言えません。
(厚生労働省や人事院の手引きでも、よくわかりませんでした。)

しかし、メンタリングをあなたの会社で成功させる。
第三レベルのメンターを続々輩出する、そんな会社になっていく。
そのためにはメンタリングのゴールを決めておくことが重要です。

ゴールがあることでメンターもメンティもそれを目指すことができますし、また人材育成をする方もされる方にも、今の自分に対しての判断基準ができます。

メンタリングのゴールをどこに置くべきか?

それは、

「いかなる環境条件の中においても、みずからの能力と可能性を最大限に発揮して、道を切ら開いていこうとする人材」

です。

おかれている環境や条件は関係ありません。
どんな困難な状況でも、自分次第で必ず切り開ける。

そんな社員(=自立型人材と呼びます)を育てることが、メンタリングのゴールとなります。

このゴールは、わたしが就いて学んだ福島正伸氏(先生)によるものですが、わたし自身ひとりのメンターとして変革人財育成や起業家育成を行ってきて、これほどメンタリングの指針になったものはありません。


メンターもひとりの人間です。
ときにはあきらめそうになったり、メンティに見切りをつけそうになることもあります。
そんなときでも、自分自身がいまの環境でメンティに対して何がしてあげられるか、可能性を信じて上げれるか、自分もあきらめない姿を見せてあげれるか。
なんども問われ続けます。

そんなメンターも一人の自立型人材を目指すことで、メンティとも心での会話ができ、メンティに気づきをあたえ、勇気をもたらすことができるのです。

チェンジ・メンタリングで可能性と創造性を発揮する社員たちへ

わたしは第三レベルの自覚をもってメンタリングすることを、とくにチェンジ・メンタリングと呼んでいるのですが、メンタリングやメンター育成は、そんな第三レベルの「チェンジ・メンタリング」を念頭に学ぶことをお勧めしています。

なぜならば、第三レベルのメンターやメンティは、仕事や人生に充実感を感じることができるです。

それはかならずしも、数値的にうまく言っているというわけではありません。
いまはチャレンジして失敗した際中かもしれません。

それでも、その歩みに充実感をみずから感じることができるのです。

意味を感じ、未来を描き、チャレンジをする。
失敗しても、ピンチはチャンス、成長の素。
よりよい人生の体験ができたと、喜ぶことができます。

わたしの専門である哲学心理学や意欲心理学の知見もお話しすると、「人は本来よく生きたい」生き物です。

その「よく生きたい」には、限界がなく成長すればするほどより成長したくなるし、よりよい自分を目指したくなります。

そんな社員たちであふれたらどうでしょうか。

どんな時でも充実感を感じられる人は、他の人の充実感も自然と応援し支援できるようになります。

ひとりひとり全員が、主体性をもって充実感を自ら感じながら、仲間と真の信頼関係を結んで、この会社で職場で、お互いのよりよき充実のために一つになる。

メンタリングは、人の勇気を切り開くものです。
そして、人と組織の可能性と創造性を作り出すものです。

大げさですか?

そうかもしれません。

でも、確信をもって大げさに述べ続けます。

チェンジ・メンタリングで社員ひとりひとりに勇気の灯をともし、真の仲間としてひとつになる。

もし本稿で興味を持たれたら、いろいろ研究してみてくださいね。

おススメです。

執筆者紹介

オフィスオントロジー
代表 友成治由

人と組織の可能性と創造性を引き出すメンター
人と会社を伸ばすメンタリングの専門家

10年超にわたる起業家育成や変革人財育成経験から得た実践知と、意欲心理学によるチェンジメンタリングで人が本来持っている意欲、可能性、価値を引き出す。
主体性/リーダーシップ開発、メンター育成、メンター制度構築、チーム活性化などを支援。


哲学存在論専攻。
宮崎県出身。今もなまりはとれない。

経営メディア『経営プロ』にて執筆コラム掲載。
コラム「メンタリングで人や組織の可能性を引き出す」など

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